「攻められない」国にできるのか?との9条批判について

2022年8月17日、私が3年前にYouTubeで公開した『憲法9条は「どんな紛争でも話し合いで解決できる」と言ってるわけではないんですよ|YouTube』という動画に、”ryu”というYouTubeアカウントから次のようなコメントが付けられていました。

出典:憲法9条は「どんな紛争でも話し合いで解決できる」と言ってるわけではないんですよ|YouTube のコメント欄から引用

本当に外交努力によって「攻められない国」などつくれるのでしょうか?これは現実性の話しです。実現可能かどうかと聞かれれば、不可能ではないが極めて難しいといったところでしょうかね。
 憲法前文に記された理念は、それだけでは素晴らしいものです。ただ、相手(例えば中国など)が武器を保持していたらどうでしょうか。こちらは丸腰で、相手は完全武装。よっぽどのネゴシエイターなら状況を好転させ得るのでしょうか。僕は、相手が戦争をしていたがっていた場合、本当に悲しいかなそれを止められるものはないと思います。
 僕は、「外交努力」の一本柱だけではなく「武力」というニ本目のマストを並立させることで、より安定した平和を築くことができると考えます。外交カードという言葉がありますよね。「武力」もそのカードのうちの一枚ではないでしょうか?つまり、武力を保持していては他国との信頼関係を築くことができないというロジックは誤りであるということです。(もちろん、相手にとりつぐ島が無ければ信頼関係もへったくれもありませんがね)

やや喧嘩腰になってすいません……僕個人は極めて右翼的な思想を持っており、いわゆる改憲派ですが、この動画については非常に興味深く、投稿者様の考え方に納得する点もありました。よければ返信を頂けますと幸いです。

〔当サイト筆者注:すべて原文ママ〕

出典:憲法9条は「どんな紛争でも話し合いで解決できる」と言ってるわけではないんですよ|YouTube のコメント欄から引用

このコメントの付けられた動画は、憲法9条に対して(憲法9条を守ろうとする人たちに対して)「9条で戦争を防げるならその言葉を教えろ」「話し合いで解決できるんだったらお前が紛争地にいって9条で戦争を止めてこい」などという批判が投げかけられている現状に対して、憲法9条は憲法前文で述べられた平和主義の基本原理を具現化した規定であって、9条で戦争を防ごうと考えるものではなく、積極的な外交努力によって諸外国と信頼関係を築き、世界平和の実現に努力することの中に日本の安全保障の確立ができるのだという確信に基礎を置いているのだから、その平和主義の基本原理を具現化した9条に対して「9条で戦争を防げるならその言葉を教えろ」「話し合いで解決できるんだったらお前が紛争地にいって9条で戦争を止めてこい」と批判するのはトンチンカンですよ、とそうした批判が間違っている点について論じたものですが、この動画にコメントした”ryu”氏はこの動画の趣旨をよく理解できなかったのか、

本当に外交努力によって「攻められない国」などつくれるのでしょうか?

と、動画の趣旨からピントのズレたコメントを投稿されています。

では、この”ryu”氏のコメントは、具体的にどこがズレていて、憲法9条批判として具体的にどう間違っているのでしょうか。

似たようなコメントが後を絶ちませんので、このページでその点を論じていくことにいたします。

【1】一段落目のコメントについて

この”ryu”氏のコメントは長いので段落ごとに分けて論じていきますが、上に挙げたように、”ryu”氏はまず一段落目で次のようにコメントしています。

本当に外交努力によって「攻められない国」などつくれるのでしょうか?これは現実性の話しです。実現可能かどうかと聞かれれば、不可能ではないが極めて難しいといったところでしょうかね。〔原文ママ〕

出典:憲法9条は「どんな紛争でも話し合いで解決できる」と言ってるわけではないんですよ|YouTube のコメント欄から引用

① 動画の趣旨からピントがずれている

この点、まずこの一段落目のコメントの全体について言及しておきますが、このコメントは端的に言って動画の趣旨からピントがズレています。

先ほども述べたように、このコメントが付けられた動画は、憲法9条に対して(憲法9条を守ろうとする人たちに対して)「9条で戦争を防げるならその言葉を教えろ」「話し合いで解決できるんだったらお前が紛争地にいって9条で戦争を止めてこい」などという批判が投げかけられていることについて論じたもので、憲法9条は9条の条文で戦争を防ごうと考えるものではなく、憲法前文で述べられた平和主義の基本原理を具現化した規定であって、その平和主義の基本原理は、積極的な外交努力によって諸外国と信頼関係を築き、世界平和の実現に努力することの中に日本の安全保障の確立ができるのだという確信に基礎を置いているのだから、その平和主義の基本原理を具現化した9条に対して「9条で戦争を防げるならその言葉を教えろ」「話し合いで解決できるんだったらお前が紛争地にいって9条で戦争を止めてこい」と批判するのはピントがずれてますよ、という趣旨のことを述べているものだからです。

憲法9条は、平和主義の基本原理を具現化した規定で、その平和主義の基本原理は「戦争を言葉で防ぐ」とか「戦争を話し合いで解決できる」などと考えているわけではなく、積極的な外交努力によってそうした戦争に繋がるような危険を未然に防ぐことを要請していて、そうして世界平和の実現に努力することの中に日本国民の安全保障が確保できるのだとの確信に基礎を置く平和主義の基本原理を説明したのがこの動画であって、憲法9条を批判する意見に散見される「9条で戦争を防げるならその言葉を教えろ」とか「話し合いで解決できるんだったらお前が紛争地にいって9条で戦争を止めてこい」との趣旨の意見が憲法9条に対する批判として成立していないことがこの動画の本題です。

この動画に対して、「あなたが動画で述べた憲法の平和主義の基本原理の説明は間違っている」とか「あなたの説明のここのロジックが間違っているから、憲法9条に対して”9条で戦争を止めてこい”という批判は成り立つはずだ」という批判なら動画の趣旨からピントがズレているとは言えませんが、その平和主義の基本原理の本質を説明する動画に対して「攻められない国などつくれるのか?」とのコメントを残されても、「自分で考えれば?」としか言いようがありません。

動画へのコメントは、動画の内容に関するものにしていただきたいと思います。

② 「攻められない」国をつくれるのか?との問いについて

この点、私が動画の中で、「平和主義の基本原理は日本が他の国から攻められない国にするために信頼関係を築いて武力につながるような国際紛争が生じないような国にしていく努力を続けることを求めている」「日本国憲法の平和主義というのは、戦争を言葉を用いて止めようという発想ではなくて、日本を攻めてくるような国が生まれてしまわないように武力による危険を国際的な信頼関係を築くことで未然に防ごうという思想」などという趣旨の説明(※詳細は動画を視聴してください)をしていることから、

本当に外交努力によって「攻められない国」などつくれるのでしょうか?

との疑問をもってしまったのだと思いますので、その点について検討します。

この点、この”ryu”氏はこの一段落目のコメントの後段で

実現可能かどうかと聞かれれば、不可能ではないが極めて難しい

と述べていますが、「不可能ではない」と述べていますので、この”ryu”氏は「攻められない国」をつくることが「難しい」と考えつつも、可能か不可能かと問われた場合には「不可能ではない」と考えていることになります。

つまり、この”ryu”氏は、このコメント前段では

「攻められない国」などつくれるのでしょうか?

と、その実現可能性について否定的な立場から疑義を呈しながら、後段部分では

『(難しいが)不可能ではない

と、その実現可能性を肯定しているわけです。

であれば、この”ryu”氏は、なぜその「不可能ではない」という結論を導き出したのか自分自身に問えばよいだけであって、私に返信を求める必要もありません。

自分自身で「不可能ではない(難しいけどつくれる)」と言いながら、「本当に…つくれるのか?」と問うこと自体、支離滅裂です。

③ 「不可能ではない」となぜ言えるのか、根拠を示してほしい

また、この”ryu”氏が

実現可能かどうかと聞かれれば、不可能ではないが極めて難しい

と述べた部分についてもう一つ指摘しておきたいのは、その「不可能ではない」と考えるに至った根拠です。

私はこの動画のなかで憲法の平和主義の基本原理が日本を「攻められない国」にすることで安全保障を確保しようと考えるものだという趣旨の説明をしていますが、「日本を攻められない国にすることが可能だ」とは一言も述べていません。

私は、憲法の平和主義の基本原理と9条が、「日本を攻められない国にしようとすることで国民の安全保障を確保しようと考えるもの」という趣旨の説明していますが、それが「実現可能」だとか「憲法の平和主義の基本原理と9条で戦争を未然に防ぐことが絶対にできる」などとは一言も説明していないのです。

しかしこの”ryu”氏は、それは「難しい」けれども可能か不可能かの二者択一なら「不可能ではない」との結論を導き出しているのですから、この”ryu”氏は、その「不可能ではない」と考えるに至った根拠があるのでしょう。

この”ryu”氏にこの記事を読んでいただけたなら、どのような根拠から日本を「攻められない国」にすることが「不可能ではない」との結論を導き出したのか、私はその「不可能ではない」と至った根拠を知りたいので、ぜひ教えて欲しいと思います。

④ 「攻められない」国にするのが「難しい」のはあたりまえ

この”ryu”氏は、このコメント後段で

実現可能かどうかと聞かれれば、不可能ではないが極めて難しいといったところでしょうかね。

と述べていますので、この部分を全体的に検討します。

この点、「難しい」のはあたりまえです。「攻められない国」にするのが「簡単」であるのなら、人類の長い歴史の中ですでに実現されているはずで、戦争など根絶されているはずだからです。

私はこの動画でも他の動画でも、私が運営している『憲法道程』や『大浦崑』などのウェブサイトでも、日本を「攻められない」国にするのが「簡単だ」などと述べた(書いた)ことは一度もありません。それは日本を「攻められない」国にするのが極めて困難だと認識しているからです。

前述したように、憲法の平和主義の基本原理と9条は積極的な外交努力で諸外国と信頼関係を築き、世界平和の実現に努力することの中に日本国民の安全保障が確保できるのだという確信に基礎を置いていますが、それは一朝一夕にできるものではありませんので、継続的で積極的な外交努力を重ねていかなければなりません。

それは「簡単」ではないからこそ、その継続的な努力が必要で、その継続的な努力の中にこそ日本国民の安全保障が確保できるのだという趣旨の話しを動画の中で繰り返し述べたはずなのですが、この”ryu”氏はそれを理解できていないのでしょう。

この点、「難しい」のだったら積極的な外交努力で国民の安全保障を確保することができるかわからないではないか、との批判があるかも知れませんが、それはおっしゃるとおり、わかりません。

憲法の平和主義の基本原理と9条を実践して「攻められない」国にするのは極めて「難し」く、それは極めて困難な道ですから、憲法の平和主義の基本原理と9条を実践しても「攻められない」国にすることは、もしかしたら不可能なことなのかもしれません。

前述の②と③の部分で述べたように、この”ryu”氏は憲法の平和主義の基本原理と9条を実践して日本を「攻められない」国にすることが「不可能ではない」と言いますが、私は「不可能ではない」、つまり「可能だ」と言い切れるものではないと思っています。

ではなぜ、その実現性が不確かであるにもかかわらず、憲法の平和主義の基本原理と9条を実践することが必要かというと、それは軍事力で国民の安全保障を確保するのが不可能なことが、先の敗戦で証明されているからです。

この点はこの動画ではなく、私が運営しているこの『大浦崑』や『憲法道程』など(たとえば『日本が軍隊で国民を守れない(戦争に勝てない)7つの理由』や『憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由|憲法道程』の記事など)で繰り返し言及していますが、先の戦争で日本は300万人を超える陸軍と米英に次ぐ世界第二位の強力な海軍を運用できたたけでなく、満州には傀儡国家の満州国を運用し、青島などの権益だけでなく自国の領土に組み入れた南樺太や朝鮮半島、台湾など、その広大な支配地から膨大な人的・経済的資産を搾取できたにもかかわらず、ノモンハンでは火力に勝るソ連軍にコテンパンに蹂躙されたうえ、大小軍閥に分裂し貧弱な装備しか持たなかった中国との戦争すら終結させることができませんでした。

つまりこの日本に限って言えば、先の戦争において軍事力で国民の安全保障を確保する道が不可能なことが立証されてしまったわけです。

そのため戦後の日本は、軍事力で安全保障を確保するという従前の憲法を廃して、軍事力を否定し積極的な外交努力によって国民の安全保障を確保する憲法を制定しました。それが現行憲法の平和主義の基本原理であって9条です。

なぜ軍事力を否定したかというと、それは軍事力が役に立たないことが敗戦によって立証されたうえ、軍事力の維持には莫大な人的・経済的資源を浪費してしまうからです。

他の国は兎も角、この日本に関しては、先の戦争において軍事力で国民の安全保障を確保する方法が機能しないことが立証されてしまったのですから、国民の安全保障を確保する方法は軍事力以外の外交努力に求めるしかなく、その実現可能性は不確かであっても「不可能」が立証されているわけではない憲法の平和主義の基本原理と9条を実践する道に可能性を求めるほかないのです。

こうした現行憲法の成り立ちを理解できていないと、この”ryu”氏のように

実現可能かどうかと聞かれれば、不可能ではないが極めて難しいといったところでしょうかね。

などという、何を言いたいのか訳の分からない意見を持ってしまうのです。

「難しい」のはあたりまえ。ただ、軍事力で国民の安全保障を確保する道は「難しい」どころか「不可能」なことが先の敗戦で立証されているのですから、この”ryu”氏と同じような疑問を持つ人は、その実現可能性のある(不可能なことが確定していない)憲法の平和主義の基本原理と9条を実践する道を歩むしかないということに気づく必要があると思います。

それでもなお9条の改正が必要だというのなら、先の戦争で勝てなかったロシアや中国にどのようにしたら勝てるのか、それを根拠を示して論証してもらわなければなりません。

たとえばこの”ryu”氏は中国を挙げていますから、日本が中国との戦争に勝てることを根拠を示して論証することが必要でしょう。

かつて日本が「生命線」と呼んだ満州だけでなく、朝鮮半島も台湾も南樺太も取り上げられたうえ、これから少子化に向かい、最低賃金は韓国にまで抜かれる勢いの凋落甚だしいこの国が、人口は10億人を超え、経済ではアメリカをも圧倒しようという中国との戦争に、具体的にどのようにして勝てるのか。またその根拠はどこにあるのか。その点を論証してもらわなければなりません。

しかもこの”ryu”氏は、憲法の平和主義の基本原理と9条を真摯に実践して日本を「攻められない」国にするのは「難しい」ので憲法を改正して軍隊を保持し軍事力によって国民の安全保障を確保すべきだと述べているわけですから、日本が軍事力によって国外勢力との戦争に勝つのが「簡単だ」と考えていることになります。

仮にこの”ryu”氏が軍事力で戦争に勝つことが「難しい」と考えているなら、同様に「難しい」と考えている憲法の平和主義の基本原理と9条の実践だけを否定するわけがないからです。

この”ryu”氏は、憲法の平和主義の基本原理と9条を実践して「攻められない」国にするのは「難しい」と述べたうえで、「中国」と具体的に国名を挙げながら憲法9条の改正を主張して軍事力を持つべきだ述べているわけですから、中国との戦争に勝つのは「簡単だ」と考えているはずです。

この”ryu”氏と同じ意見を持つ人がいれば、先の戦争で日本が圧倒的に有利な立場にあっても勝てなかった中国との戦争に、なぜ今の日本が簡単に勝てるのかその根拠をぜひ示してほしいと思います。

【2】二段落目のコメントについて

次に、この”ryu”氏は二段落目で次のようにコメントしていますので、この部分を検討します。

 憲法前文に記された理念は、それだけでは素晴らしいものです。ただ、相手(例えば中国など)が武器を保持していたらどうでしょうか。こちらは丸腰で、相手は完全武装。よっぽどのネゴシエイターなら状況を好転させ得るのでしょうか。僕は、相手が戦争をしていたがっていた場合、本当に悲しいかなそれを止められるものはないと思います。〔原文ママ〕

出典:憲法9条は「どんな紛争でも話し合いで解決できる」と言ってるわけではないんですよ|YouTube のコメント欄から引用

① 平和主義の基本原理の本質を理解していないのに「素晴らしい」とは?

まず、この”ryu”氏は冒頭で

憲法前文に記された理念は、それだけでは素晴らしいものです

と述べていますが、前述の(1)でも述べたように、この”ryu”氏は憲法の平和主義の基本原理を理解していないように思います。理解していない平和主義をなぜ「素晴らしい」と考えるのか疑問です。

② 平和主義の基本原理は「ネゴシエイトで状況を好転させよう」という発想ではない

次に、この”ryu”氏はコメントの中段で

相手(例えば中国など)が武器を保持していたらどうでしょうか。こちらは丸腰で、相手は完全武装。よっぽどのネゴシエイターなら状況を好転させ得るのでしょうか。

と述べていますので、この部分を検討します。

この点、結論から言えば、このコメントはまったく私の動画を理解できていません。

私はこのコメントが付けられた動画の中で、「平和主義の基本原理は日本が他の国から攻められない国にするために信頼関係を築いて武力につながるような国際紛争が生じないような国にしていく努力を続けることを求めている」「日本国憲法の平和主義というのは、戦争を言葉を用いて止めようという発想ではなくて、日本を攻めてくるような国が生まれてしまわないように武力による危険を国際的な信頼関係を築くことで未然に防ごうという思想」などという趣旨の説明をしたうえで、憲法の平和主義の基本原理と9条は「非武装中立とか無抵抗主義とか9条を盾にして念仏のように唱えて平和を謳歌して、いざ隣国が攻めてきた時に”ちょっとまってよ、話し合いで解決しましょうよ”というような姿勢で平和を実現できるというようなことは全く考えていない」と述べているからです(※詳細は動画を視聴してください)。

動画の中で、「いざ隣国が攻めてきた時に”ちょっとまってよ、話し合いで解決しましょうよ”というような姿勢で平和を実現できるというようなことは全く考えていない」と明確に述べているにもかかわらず、「武器を持った相手に話し合いで解決できるのか?」と問われても、「あなたは会話のキャッチボールができないのですか?」としか言いようがありません。

そもそも平和主義の基本原理は「ネゴシエイトで状況を好転させよう」という発想ではないのです。

この動画を視聴して、この”ryu”氏と同様の疑問を持った人は、もう少し人の話を理解する努力をした方が良いと思います。

③ 「戦争をしたがる」ような国が生まれるのを未然に防ごうと考えるのが平和主義の基本原理

この”ryu”氏は

僕は、相手が戦争をしていたがっていた場合、本当に悲しいかなそれを止められるものはないと思います。』〔原文ママ〕

と述べていますのでこの点を検討しますが、これも動画の内容を全く理解できていません。

何度も繰り返しになりますが、私は動画の中で平和主義の基本原理と9条に関して、「平和主義の基本原理は日本が他の国から攻められない国にするために信頼関係を築いて武力につながるような国際紛争が生じないような国にしていく努力を続けることを求めている」「日本国憲法の平和主義というのは、戦争を言葉を用いて止めようという発想ではなくて、日本を攻めてくるような国が生まれてしまわないように武力による危険を国際的な信頼関係を築くことで未然に防ごうという思想」という趣旨の説明をしているからです。

憲法の平和主義の基本原理と9条は、平和構想の提示や紛争解決のための提言など積極的な外交努力を続けることで世界から紛争の種となるような争いをなくし、「戦争をしたがる」ような国外勢力が生まれてしまうような事態を未然に防ぐことで平和を実現しようという思想ですから、「相手が戦争したがってたら止められないじゃないか」と「戦争をしたがる」国があらわれたことを前提に話を進められても、「あなたは人の説明が理解できないのですか」としかコメントしようがありません。

これも繰り返しになりますが、この動画を視聴してこの”ryu”氏と同様の疑問を持った人は、もう少し人の話を理解する努力をした方が良いと思います。

なお、

相手が戦争をしていたがっていた場合〔原文ママ〕…それを止められるものはない

との意見ですが、仮に「戦争をしたがる」国があったとしたら、おっしゃるとおり、それを止めるのは困難でしょう。

たとえば先の戦争で中国に”対華21カ条の要求”を突きつけた日本や、南京攻略戦の際に蒋介石の国民政府が合意の意思を示していたにもかかわらずトラウトマン工作を打ち切って全面戦争に拡大させた日本など「戦争をしたがる」国が実際にありましたが、当時の中国が「戦争をしたが」っていた日本を止めるのは事実上不可能であったと思います。

だからこそ、「戦争をしたがる」国が生まれてしまうのを未然に防ぐことが必要だ、と述べているのが日本国憲法であってこの動画なのですが、全く理解してもらえないようで残念です。

④ 武力(軍事力)で「戦争をしたがっている」国を「止められる」ならその方法を教えて欲しい

なお、この”ryu”氏は「中国」と具体的な国名を挙げたうえで、

僕は、相手が戦争をしていたがっていた場合、本当に悲しいかなそれを止められるものはないと思います。』〔原文ママ〕

と述べていますので、「中国」が「戦争をしたがってい(る)」と、またその「戦争をしたがってい(る)」中国を、憲法を改正して軍備を整えれば「止められる」と考えていることがわかります。

この”ryu”氏が何を根拠に中国が「戦争をしたがってい(る)」と述べているのか知りませんが、中国を武力(軍事力)で圧倒できると本気で考えているのでしょう。

前述の【1】-④でも述べましたが、先の戦争では大小軍閥が割拠するうえ装備も貧弱だった中国との戦争すら終結できなかった日本が、なぜ国力十分の今の中国に武力(軍事力)で対抗できると思えるのか不思議でなりません。

【3】三段落目のコメントについて

つづいて、この”ryu”氏はコメント三段目で次のようにコメントしていますので、この部分について検討します。

 僕は、「外交努力」の一本柱だけではなく「武力」というニ本目のマストを並立させることで、より安定した平和を築くことができると考えます。外交カードという言葉がありますよね。「武力」もそのカードのうちの一枚ではないでしょうか?つまり、武力を保持していては他国との信頼関係を築くことができないというロジックは誤りであるということです。(もちろん、相手にとりつぐ島が無ければ信頼関係もへったくれもありませんがね)〔原文ママ〕

出典:憲法9条は「どんな紛争でも話し合いで解決できる」と言ってるわけではないんですよ|YouTube のコメント欄から引用

① 「武力」を「外交カード」に使うのは帝国主義

まずこのコメントの前段部分を検討します。

「マスト」は「船」の「マスト」のことでしょうか。

この”ryu”氏がなぜ船の「マスト」を比喩として持ち出してきたのかは謎ですが、「武力」を「外交カードのうちの一枚」と述べていますので、「武力」すなわち「軍事力」を「外交」交渉のうえで「カード」として使おうと考えていることがわかります。

しかし、それは『”憲法9条に「攻めてきたら…」は成り立たない”の記事への批判の検証』の記事でも述べたように、「武力による威嚇」そのものであって国連憲章違反です。

国連憲章 第2条4項

すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

出典:https://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/

そもそも、仮にそれが国連憲章違反でなくても「外交」に軍事力をカードとして使って中国を侵略したのが先の戦争なので、先の戦争を反省する思考があるのならこうした意見は持たないはずなのです。この”ryu”氏にはそうした意識もないのでしょう。

「外交には軍事力による裏付けが必要」との憲法9条批判の検証』の記事でも述べたように、「軍事力がなければ対等な外交ができない」などと主張する人が未だに絶えませんが、この国の国民はいったいいつになったら明治大正の帝国主義から脱却できるのでしょうか。

② 「武力」を「外交カード」に使って他国を脅して信頼関係を築けると思えるのが不思議

また、この”ryu”氏は、「武力(軍事力)」を「外交カード」として使うべきだとしたうえで、

『武力を保持していては他国との信頼関係を築くことができないというロジックは誤りである

と述べていますので、「武力(軍事力)」を「外交カード」として使うことで他国と信頼関係を築くことができるというロジックが正しいと考えていることがわかります。

しかし、その根拠が何も示されていません。この”ryu”氏は「つまり」と述べていますが、「つまり」の前の部分は単に「武力を外交カードに使うべき」と述べているだけで、武力を外交カードに使うことでなぜ他国と信頼関係が築けるのか、その理由は一切述べられていません。

つまり、「つまり」で文章が繋がっていないのです。

こうした訳のわからない文章で自説を展開する人が度々見られますが、こうしたコメントは論じようがないので止めて欲しいと思います。

なお、「武力(軍事力)」を「外交カード」として使うということは、【3】-①で述べたように国連憲章違反であって帝国主義思想そのものです。

他国との外交交渉で軍事力を「カード」として切れば、それは「武力による威嚇」そのものだと思いますが、そうして自国の要求を受け入れさせて「信頼関係」が築けると考えていること自体、正直言って理解不能です。

③ 「武力で信頼関係を築ける」と言いながら「相手に取り付く島も無ければへったくれもない」と言う意味不明

なお、コメントの最後の部分は括弧書きで

(もちろん、相手にとりつぐ島が無ければ信頼関係もへったくれもありませんがね)〔原文ママ〕

と述べていますのでこの部分を検討します(※「取りつぐ島が無ければ…」とありますが「取り付く島もなければ」の間違いでしょう)。

この点、いったい何の外交交渉で相手国が「取り付く島もない」事例を想定しているのか不明なので論じようがありませんが、外交は相手国があって成り立つものですので、相手国が全て自国の要求を丸呑みしてくれるものではありません。当然、その交渉内容によっては「取り付く島もない」場面も生じてくるでしょう。

この”ryu”氏は、なにかかつての日本が朝鮮半島にしたように植民地を自国の要求どおりに従わせるような外交を想像しているのかもしれませんが、外交交渉は全て自国の思いどおりに進むものではないのです。

まず、その点の勘違いを改めるところから始める必要があるのではないでしょうか。

なお、この部分はもしかしたら、憲法の平和主義の基本原理と9条を真摯に実践して外交努力を重ねても、「戦争をしたがって」いるような相手国が「取り付く島もない」状態であれば、外交努力は意味がないではないか、ということを言いたいのかもしれません。

しかし、これも何度も繰り返しているように、そもそも平和主義の基本原理と9条は、武力(軍事力)を用いて攻めてくることを決意してしまうような国が生まれてしまうのを未然に防ごうという思想ですから、外交交渉において相手国に「取り付く島」があるかないかは関係ありません。

たとえ相手に「取り付く島」がなくても、その相手国が武力を用いて「攻めてくる」ような国でなければ戦争には発展しないからです。

この”ryu”氏がいったい何を言いたいのか不明でこうしたコメントを私の動画に残す人は絶えませんが、もう少し私の動画を真面目に視聴してからコメントしていただきたいと思います。

ちなみに、この”ryu”氏は何の根拠も示すことなく「武力」を持つことで

より安定した平和を保つことができる

と述べていますが、仮にこの”ryu”氏がいうような「戦争をしたがってい」る国があったとして、仮にこの”ryu”氏がいうようにその「戦争をしたがってい」る国に「取り付く島」もなければ、相手は当然攻撃してきますので戦争に発展してしまいます。

つまり、この”ryu”氏が考える仮定の世界では、武力もへったくれもなくその「安定した(ように見える)平和」は破綻して戦争に巻き込まれるわけです。

文章自体が矛盾しているように感じますが、いかがでしょうか。

【4】四段落目のコメントについて

最後に、コメントの四段落目について検討します。

やや喧嘩腰になってすいません……僕個人は極めて右翼的な思想を持っており、いわゆる改憲派ですが、この動画については非常に興味深く、投稿者様の考え方に納得する点もありました。よければ返信を頂けますと幸いです。〔原文ママ〕

出典:憲法9条は「どんな紛争でも話し合いで解決できる」と言ってるわけではないんですよ|YouTube のコメント欄から引用

① 相手に対する蔑視感情が対立を生み戦争を招く

まず、この”ryu”氏が

やや喧嘩腰になってすいません

と述べている部分を検討します。具体的にどの部分が「ケンカ腰」なのは判りませんが、なんとなく「へったくれもありませんがね」の部分で私を挑発しているような印象を受けるので、この部分を指しているのでしょう。

この点、この「へったくれもない」という言葉は「無価値」や「無意味」という意味を持ち、相手方を蔑む印象を与えますので、親しい間柄でも通常は使われません。

この”ryu”氏は「すいません」と弁明を入れていますが、YouTubeのコメントはコメント投稿者が後から自由に編集できるので、それをせずあえて残しているところからみても本心では弁明する気持ちなど全く持っておらず、自分が私より頭がいいと思っていて、私を蔑み嘲笑し挑発する趣旨でこの言葉を選んだのだと思います。

もちろん、この程度の侮蔑表現はYouTubeだけでなくTwitterのアカウントなどにも頻繁に届きますし、時には殺害予告まで来る有様なのでなんてことはないのですが、問題はこうした言葉を選択する人が軍事力の保持を肯定し憲法改正を積極的に推し進めている点です。

私がYouTubeで公開している他の動画のコメント欄を見ていただければわかりますが、再生数は100回に満たないにもかかわらず、これどころではない侮蔑や嘲笑、攻撃的で「ケンカ腰」なコメントであふれています。

そうした「ケンカ腰」で面識もない赤の他人を罵倒する人たちが、憲法9条の改正を望み、軍隊を持って戦争できる国にすべきだと声高に叫んでいるのが今の日本なのです。

しかし戦争は、相手国より自国(民)が優れているという優越感情、また相手国は自国(民)より劣っているという蔑視感情から生まれます。

たとえば先の戦争も、中国人は日本人より劣っているから武力で叩きつければ満州問題も黙るはずだという、いわゆる「中国一撃論」から全面戦争に発展していきました。

これは対米戦争も同じで、真珠湾を奇襲してシンガポールを落とせば講和に持って行けるはずだとか、いわゆる「鬼畜米英」に代表されるような侮蔑と根拠不明な過信が戦争を肯定する世論に影響を及ぼしたことは周知の事実です。

対立する相手方に対して、自分の方が優れている、相手は自分より劣っている、我が国の武力を外交交渉で利用すれば相手国はこちらの要求を呑むはずだ、との侮蔑・優越感情が戦争を肯定的に評価する意思決定に作用していったわけです。

この点、この”ryu”氏は具体的に「中国」と国名を挙げたうえで、「戦争をしたがってい(る)」だとか、その中国に対しても「武力」を「外交カード」として使うべきだとか、武力を保持していれば「状況を好転させ得る」だとか、「武力」を保持することで「安定した平和を築くことができる」という趣旨のことを述べていますから、中国を武力(軍事力)で圧倒できると考えていることがわかります。

つまりこの”ryu”氏も、日本が憲法を改正すれば中国を軍事力で屈服できるとか、外交で軍事力を「カード」にすればたとえ中国が「取り付く島」もない態度をとったとしても日本の要求に通すことができると考えているわけです。

この思考は戦時中の日本と何ら変わりません。おそらくこの”ryu”氏も、戦時中の軍部と同様に「中国一撃論」が機能すると本気で考えているのでしょう。

この”ryu”氏は、憲法を改正して軍事力を保持することで

より安定した平和を築くことができると考えます

と述べていますが、何のことはない、明治大正の軍国主義者・帝国主義者と考えていることは何ら変わらないような気がします。「安定した平和を築く」どころか、相手を侮蔑することで自ら対立を煽り、平和を破壊して紛争を招いているだけではないでしょうか。

この”ryu”氏が学生なのか社会人なのか知りませんが、こういう思想を持つ人がまかり間違って公務員試験に合格し官僚なんかになってしまうと、馬鹿な政治家を焚きつけて日本を戦争に引き入れてしまう可能性があります。

憲法9条の改正を望む人たちには、こうした攻撃的で挑発的な侮蔑表現を使いたがる人が目立ちますが、そうした態度が何を招くか、真剣に考えた方が良いのではないでしょうか。

② ただの軍国主義者、帝国主義者では

次に、このコメント主が

僕個人は極めて右翼的な思想を持っており

と述べている部分を検討します。

この点、このコメント主が「右翼的」な思想をもっているかいないかこのコメントからは判断できませんが、このコメント主は「武力(軍事力)」を「外交カード」として利用すべきと述べて「武力による威嚇」を肯定していますから、軍国主義や帝国主義に憧れているのは判ります。

私の認識では、軍国主義も帝国主義も先の戦争で失敗が証明された思想なのですが、そうした思想を好む人は案外今も根強く生き残り続けているのかもしれません。

③ 動画の内容を理解していないのに「考え方」に納得できるのか

続いて、このコメント主が

この動画については非常に興味深く、投稿者様の考え方に納得する点もありました。

と述べている部分を検討しますが、これまで長々と述べてきたように、このコメント主は私の動画の内容を全く理解できていません。

私の動画の内容を全く理解できていないのに私の「考え方」に「納得する点もありました」とはいったいどういう事でしょう。

捻じ曲げて理解された「考え方」に「納得」されても、それは私の「考え方」とは全く異なる架空の「考え方」ですので、すぐに記憶から消去することをお勧めします。

④ 返信を求めるのは人の命を削ること

最後に、このコメントの最後の文章を検討します。このコメント主は

よければ返信を頂けますと幸いです。

と述べていますが、自分のコメントについて相手に返信を求めるということは、相手に時間を使わせることに他なりません。

しかし人の命は限りあるもので人がその人生で使える時間は有限なものですから、相手に返信を要求するということは、自分への返信のために相手の「命」を削るということです。

もちろん、コメント欄を開放しているのは私ですから、コメントを残すのも自由ですし、コメント投稿者が私に対して返信を求めるのも自由です。

ですが、動画にコメントする人は動画をしっかり視聴してその内容を理解してから、記事にコメントする人は記事の内容を熟読しその内容を理解してからにしていただけないと、時間の無駄になってしまいます。

記事を読めばわかることを問うてきたり、記事や動画の内容を捻じ曲げてコメントする人が後を絶ちませんが、それは自分の読解力のなさが相手の命を削っているということに他なりません。

動画や記事にコメントしてくれるのはありがたいことですが、その内容をよく理解したうえでコメントしていただくようお願いします。

【5】最後に(このコメントの全体的な感想)

なお、このコメントの全体的な印象ですが、これも繰り返しになりますけれども私の動画の内容を全く理解できていないように思います。

このコメントが付けられた2022年8月17日には、私がこのサイトで公開している『”憲法9条に「攻めてきたら…」は成り立たない”の記事への批判の検証』と『「信頼で戦争を防げるのは話のわかる国だけ」との憲法9条批判検証』の記事にも同じように私の記事の内容を全く理解できていない人からここで紹介したコメントと似たようなコメントが付けられましたが(参考→『2022年8月17日付コメントについて』)、憲法9条に関する記事や動画を公開するとこうした読解力の無いコメントが度々寄せられます。

しかし、憲法9条も憲法の平和主義の基本原理が述べられた憲法前文も文章で書かれており、その真意は文章を読み解く力、他人の話を理解しようとする気持ちがないと理解できません。

憲法9条に関してコメントを残す人はその点が不足していますから、ネット上に転がっている意見を拾い読みして憲法を理解したと思い込むのではなく、憲法の専門書を読むなどして真摯に憲法を学び、憲法を理解するところから始めることが必要でしょう。

ネット上で拾ったステレオタイプの意見をコメント欄に残しても憲法9条の議論は一ミリも進みません。

憲法9条の改正を望むのは結構ですが、憲法9条に何が書いてあるか理解してから改正の議論を進めるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。

コメント

  1. 穢土 より:

    「つまりこの日本に限って言えば、先の戦争において軍事力で国民の安全保障を確保する道が不可能なことが立証されてしまったわけです」

    なぜ限るのですか? 他国(戦勝国)ではうまくいったならば、それは普遍的には「軍事力で国民の安全保障を確保する道が可能なことの証明」になるのではないのですか? 日中戦争において小なる中国が大なる日本の侵攻を跳ね除けたならば、逆に現代の日本が準超大国中共相手には不十分であろうと持てるだけの軍備をもって対抗することが有意であることの証明になっていると思うのですが

    「大であろうと小を御すことはできない」というのは「小であろうと大に対抗できることの証明になる」というのに「日本が大であるときに失敗したのだから小ならなおさらだ」というのは自論に都合の良いダブルスタンダードであり矛盾と呼ぶ他ありませんね
    大日本帝国の失敗は日本人の血統・習俗の特異な劣等性であり、それは現在においても覆せないものであるので例外とでも主張するのですか?

    また「戦争をしたがるような国外勢力が生まれてしまうような事態を未然に防ぐ」というすべての根本前提が「国連憲章も意に介さない戦争をしたがるロシアという国がすでに地球上に存在してしまっているので未然に防げていない」
    というのに
    「すでに存在している好戦国家に対応する術は“論点ではない、ピントがズレている”の一点ばりで、その上で“未然に防ぐ”ためには“訴えかける自国の武力を放棄・軍縮するべき”」という極めてリスクを増大させる(日本の護憲派以外、世界人類の大半の認識)主張が自衛隊の増強を止めることは決してないでしょうね、ご苦労様です

    そもそも「戦争をしたがるような国外勢力が生まれてしまうような事態を未然に防ぐことで自国の安全につなげる」という方針と「軍事力によって安全を確保する」という方針は択一ではなく「ほぼすべての他国は“自国の軍備を放棄しない”上で“未然に防ぐ努力“をしている」と思うのですが

    • 大浦崑 より:

      コメントありがとうございます。

      全体的に何をおっしゃりたいのか分かりにくい文章なのでコメントする気力も湧きませんが、分かる範囲で段落ごとにお答えします。

      【1】第一段落目のコメントについて

      第一段落目は

      「つまりこの日本に限って言えば、先の戦争において軍事力で国民の安全保障を確保する道が不可能なことが立証されてしまったわけです」
      なぜ限るのですか? 他国(戦勝国)ではうまくいったならば、それは普遍的には「軍事力で国民の安全保障を確保する道が可能なことの証明」になるのではないのですか? 日中戦争において小なる中国が大なる日本の侵攻を跳ね除けたならば、逆に現代の日本が準超大国中共相手には不十分であろうと持てるだけの軍備をもって対抗することが有意であることの証明になっていると思うのですが

      「大であろうと小を御すことはできない」というのは「小であろうと大に対抗できることの証明になる」というのに「日本が大であるときに失敗したのだから小ならなおさらだ」というのは自論に都合の良いダブルスタンダードであり矛盾と呼ぶ他ありませんね
      大日本帝国の失敗は日本人の血統・習俗の特異な劣等性であり、それは現在においても覆せないものであるので例外とでも主張するのですか?

      というものですのでこの部分について検討します。

      ① 「なぜ限るのですか?」という点について

      日本では先の戦争で軍事力で国民を守るという安全保障施策が機能しないことが歴史的・地理的・財政的に証明されているからです(※詳細は→日本が軍隊で国民を守れない(戦争に勝てない)7つの理由)。他国は兎も角、日本では軍事力を用いた安全保障施策が機能しないことが証明されていると考えており、日本の安全保障に関する議論なので「限って」述べています。

      ②「中国が日本の侵攻を退けた」事実は「日本が軍備をもって(中国に)対抗することに意味があること」の証明にはならない

      ①のあとに続く部分はロジックが滅茶苦茶なので正直申し上げてコメントする気も失せますが、「AがBに勝った」事実は「BはAに勝つ」ことの証明にはなりませんし、「AがBに負けなかった」事実は「BはAに負けない」ことの証明になりません。また「AがBの武力侵攻を退けた」事実も「BがAの武力侵攻を退けることができる」ことの証明にはなりませんし「BがAの武力侵攻に武力で対抗することに意味がある」ことの証明にもなりません。

      有意であることの証明」は「意味があることの証明」という意味だと思いますが、なぜ「中国が日本の侵攻を退けた」事実が「日本が軍備をもって(中国に)対抗することに意味がある」ことの証明になるのでしょうか。まったく分かりません。

      ③ 「大であろうと小を御すことはできない」などと言っていない

      それから、「「大であろうと小を御すことはできない」というのは…」とありますが、この記事でもこの記事の元になった動画でも、「大であろうと小を御すことはできない」などと述べた(書いた)部分はありません。

      私が述べたわけでもないことを、あたかも述べたかのように歪めて引用し自説を展開するのは、相手の主張を歪めて引用し、その歪められた主張に反論する論法で「ストローマン論法(わら人形論法)」です。

      「ストローマン論法(わら人形論法)」は詭弁の一種ですが、詭弁に付き合う暇はないのでこういうコメントを残すのは止めていただきたいと思います。

      ④「大」とか「小」などと勝手に置き換えるからわけがわからなくなる

      なお、私はこの記事の中で、日中戦争当時の日本は満州国を運用し、青島の権益などもあって中国との関係でいえば圧倒的に有利な立場にあっても戦争を終結することができなかった、という趣旨のことを述べたのであって、当時の日本が中国と比べて「」だったなどということを述べたわけではありません。

      当時の中国は、特に海軍や航空戦力など全体的に見れば軍備が貧弱だったので軍事的には日本と比べれば「弱(小)」だったと思いますが、国土の広さから考えれば満州を侵略されていたといえども広大な国土を持つ中国の方が「大」ですし、当時の中国側の兵力がどの程度か詳しく存じませんが、人員の頭数という点で考えれば北支に展開できた兵力が200万人程度の日本と比較して、国民政府に共産党を加えた膨大な軍民を動員できた中国の方が「大」だったかもしれません。

      また、外交的な支援という点で考えれば、外交的に孤立していた日本と比較してアメリカやイギリス、ドイツなどから軍事的な支援を受けていた中国の方が「大」だったと言えます。

      「先の戦争で日本が圧倒的に有利な立場にあっても勝てなかった中国との戦争に、なぜ今の日本が勝てるのか」という趣旨の私の文章を、「大であろうと小を御すことはできない」とか「日本が大であるときに失敗したのだから小ならなおさらだ」などと勝手に変換してしまうからわけがわからなくなるのではないでしょうか。

      これも私が述べたわけでもないことを、あたかも述べたかのように歪めて引用し、その歪められた主張に反論する論法になるので「ストローマン論法(わら人形論法)」です。

      ⑤ なぜ人種、民族論になるのか意味不明

      第一段落目の最後に

      大日本帝国の失敗は日本人の血統・習俗の特異な劣等性であり、それは現在においても覆せないものであるので例外とでも主張するのですか?

      とありますが、この記事やこの記事の元になった動画のいったいどこをどう読めば(見れば)「日本人の血統・習俗の特異な劣等性」などという差別的な発想が出てくるのでしょうか。意味不明です。

      「先の戦争で日本は中国に勝てなかった」と述べることが「日本人の血統・習俗の特異な劣等性」について述べたことになるのなら、先の戦争でポツダム宣言を受け入れて降伏文書にサインした事実を載せている教科書は全て「日本人の血統・習俗の特異な劣等性」を児童・生徒に教えていることになってしまいます。だって日本は連合国に負けて降伏文書に調印しているのですから。

      この部分も私が述べたわけでもないことを、あたかも述べたかのように歪めて引用し、その歪められた主張に反論する論法で「ストローマン論法(わら人形論法)」です。

      【2】第二段落目のコメントについて

      第二段落目には

      また「戦争をしたがるような国外勢力が生まれてしまうような事態を未然に防ぐ」というすべての根本前提が「国連憲章も意に介さない戦争をしたがるロシアという国がすでに地球上に存在してしまっているので未然に防げていない」
      というのに
      「すでに存在している好戦国家に対応する術は“論点ではない、ピントがズレている”の一点ばりで、その上で“未然に防ぐ”ためには“訴えかける自国の武力を放棄・軍縮するべき”」という極めてリスクを増大させる(日本の護憲派以外、世界人類の大半の認識)主張が自衛隊の増強を止めることは決してないでしょうね、ご苦労様です

      とありますのでこの点について検討します。

      ① 前段部分について

      この点、第二段落の前段部分には

      また「戦争をしたがるような国外勢力が生まれてしまうような事態を未然に防ぐ」というすべての根本前提が「国連憲章も意に介さない戦争をしたがるロシアという国がすでに地球上に存在してしまっているので未然に防げていない」
      というのに

      とありますが、戦後の日本は、憲法が本来的に予定していない自衛隊という事実上の軍隊と、安保条約という事実上の軍事同盟によって国の安全保障を確保しようとしてきましたので、憲法の平和主義の基本原理があるのにその基本原理を守らずに、9条があるのにそれを守らずに戦後80年の時間を浪費してきたことになります(※この点については→「日本が平和だったのは憲法9条があったから」なのか?|憲法道程)。

      私はロシアが「戦争をしたがる」国だとは思っていませんが、仮にそれが事実であったとしても、憲法の平和主義の基本原理と9条が要請している「戦争をしたがるような国外勢力が生まれてしまうような事態を未然に防ぐ」ための努力を何もせず、憲法の平和主義の基本原理の理念を無視して安全保障のための人的・経済的資源を憲法が本来的に予定していない軍事力に集中させてきたのが戦後の日本なのですから、その事実を棚に上げて、「未然に防げていない」じゃないか、と憲法の平和主義の基本原理と9条を批判するのは暴論です。

      この点はこの記事ではなく『2022年8月17日付コメントについて』の記事の(1)③に詳しく書いていますので、そちらを参照してください。

      ② 後段部分について

      第二段落目の後段には

      「すでに存在している好戦国家に対応する術は“論点ではない、ピントがズレている”の一点ばりで、その上で“未然に防ぐ”ためには“訴えかける自国の武力を放棄・軍縮するべき”」という極めてリスクを増大させる(日本の護憲派以外、世界人類の大半の認識)主張が自衛隊の増強を止めることは決してないでしょうね、ご苦労様です

      とありますのでこの部分を検討します。

      まず「すでに存在している好戦国家に対応する術は“論点ではない、ピントがズレている”の一点ばりで」とありますが、この記事の中で「すでに存在している好戦国家に対応する術は“論点ではない」などという趣旨のことを述べた部分はありません。

      そもそも、この記事で「ピントがズレている」と述べた箇所は「【1】①」の部分だけです。「【1】①」の部分しか「ピントがズレている」と述べていないのに、「一点ばり」などと、あたかも私がこの記事の全てで「ピントがズレている」と切り捨てたように印象付けるのはデマそのものです。デマで人を貶めるのはやめていただきたい。迷惑です。

      また、「すでに存在している好戦国家」などとそれが存在すること前提で述べられていますが、何を根拠にそう述べられているのか分かりません。そもそもこの記事の中では「すでに存在している好戦国家」の話などしていません。なお、この記事の【2】の③で述べているのは「戦争をしたがる国が現れた場合」のことであって「すでに存在している好戦国家」のことではありません。

      加えて「“訴えかける自国の武力を放棄・軍縮するべき”」ともありますが、この記事の中でそのような趣旨のことを述べた部分もありません。「訴えかける」とはいったい誰に何を「訴えかける」のでしょうか。なにを言っているのか、これもさっぱりわかりません。

      後段の「…主張が自衛隊の増強を止めることは決してないでしょうね」の部分については、何でしょう…こういうのを冷笑系とでもいうのでしょうか。その後に「ご苦労様です」と続けるあたり、このコメント主は悦に入っているのかもしれませんが、そもそも私は「自衛隊の増強を止める」などと一言も述べていません。だから何?です。しかも「世界人類の大半の認識」って、そういうアンケートでもあるのでしょうか。

      なお、最後の「ご苦労様です」の部分は、私を蔑み徴発する趣旨で付け足したのだと思いますが、こういう挑発的、侮蔑的な表現の積み重ねが他国民との対立を生み国家間の軋轢を招いて戦争に発展するということをこの記事の「【4】①」でも述べたのですが、まったく伝わっていないようで残念です。

      【3】第三段落目のコメントについて

      第三段落目は

      そもそも「戦争をしたがるような国外勢力が生まれてしまうような事態を未然に防ぐことで自国の安全につなげる」という方針と「軍事力によって安全を確保する」という方針は択一ではなく「ほぼすべての他国は“自国の軍備を放棄しない”上で“未然に防ぐ努力“をしている」と思うのですが

      とありますが、この部分はこの記事の元になった”ryu”というYouTubeアカウントと同じで私の記事や動画の内容を全く理解できていません(※なお、この”ryu”というYouTubeアカウントは、この記事公開後すぐにYouTubeの当該コメントを削除したうえ名前を”R115”に変更しています)。

      現行憲法の平和主義の基本原理が採用した安全保障を「原因療法的」な視点で考える立場では、用意できる安全保障のための人的資源と経済的資源を、国外勢力との紛争につながるような危険を未然に防ぐための外交努力に集中させて国民の安全保障を確保しようと考えますが、諸外国や戦前の日本が採用した安全保障を「対症療法的」な視点で考える立場では、用意できる安全保障のための人的・経済的資源を軍事力に集中させるからです。

      この点、このコメントを残した穢土氏の言うように、たとえ諸外国や戦前の日本のように「対症療法的」な視点で考える立場でも、安全保障を軍事力だけに頼るのではなく、外交によって「戦争を未然に防ぐ」努力をしていることは事実です。しかしその「外交」は通常の外交のための人的資源と経済的資源を用いた「外交」であって、安全保障のための人的・経済的資源を用いた「外交」ではありません。

      憲法の平和主義の基本原理が要請しているのはそういう「外交」ではなくて、そうした自国に降りかかる戦争の「予防」という視点から一歩進めて、『原因療法的』な視点から、これまで軍事力に充てていた安全保障のための人的・経済的資源を積極的な外交努力に振り分けて、そもそもそうした紛争や対立の「種」になる要素、憲法前文で述べられた言葉を借りるなら「専制と隷従、圧迫と偏狭」また「恐怖と欠乏」を世界から除去していく努力です。

      この「外交」の違いは『”憲法9条に「攻めてきたら…」は成り立たない”の記事への批判の検証』や『2022年8月17日付コメントについて』の記事で散々書いており、面倒なので繰り返しませんが、その違いがわからないからこうした疑問を持ってしまうのではないでしょうか。

      安全保障のための人的資源と経済的資源は無限に湧いてくるものではありませんので、限られた資源で国民の安全保障を確保しなければなりません。

      その場合、仮にその方法として軍事力を用いるのであれば、その安全保障のための人的・経済的資源は全て軍事力に振り分けた方が戦争に勝つ(負けない)確率は上がります。もちろん、その場合も通常の外交資源を用いて「戦争を未然に防ぐ」ための「外交」はしますが、それは安全保障のための人的・経済的資源を用いた「外交」ではないのです。

      他方、仮にその方法として国外勢力との紛争につながるような危険を未然に防ぐ外交努力によって国民の安全保障を確保しようとするのであれば、そこで用意できる安全保障のための人的・経済的資源は全てそれを具現化するための外交努力に充てた方が戦争を未然に防ぐ確率は上がります。この場合の「外交」は通常の外交資源を用いた「外交」とは異なる安全保障のための人的・経済的資源を用いた「外交」ですし、もちろんこの立場であっても、その安全保障のための人的・経済的資源を用いた「外交」とは別に、通常の外交資源を用いて「戦争を未然に防ぐ」ための「外交」は行います。

      この点は『”憲法9条に「攻めてきたら…」は成り立たない”の記事への批判の検証』の記事で詳しく書いているので、それで理解できないのなら、私にそのロジックを理解させる文章力はありませんので申し訳ないというほかありません。

      【4】最後に

      以上、この穢土氏のコメントはストローマン論法(わら人形論法)だらけで長いうえ、デマや差別思想まで散りばめられているのでダラダラと長文を連ねてきましたが、正直申し上げてこうしたコメントは議論がかみ合わないので止めて欲しいです。

      おそらく、この穢土氏からは「ストローマン論法(わら人形論法)の一点ばりじゃないか!」とお𠮟りを受けるかもしれませんが、それが事実なので仕方ありません。ヤフーニュースのコメント欄レベルの酷さです。

      こうした詭弁に回答するのは時間の無駄以外の何ものでもありません。こうしたコメントを送りつけるのはこの穢土氏だけではありませんが、この手のコメントは正直、勘弁してもらいたいと思います。