「話し合いや信頼関係で戦争は防げない」との憲法9条批判の検証

日本国憲法の基本原理である平和主義と第9条は、自衛戦争も含めたすべての戦争を否定して軍事力の保持とその行使の一切を禁止していますから、国外勢力との間で戦争にならないように外交努力を積極的に行って諸外国と信頼関係を築き、対立に発展するような危険が生じるのを話し合いによって未然に防がなければなりません(※参考→『憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由|憲法道程』『憲法9条は国防や安全保障を考えていない…が間違っている理由|憲法道程』)。

しかし、こうした憲法の平和主義の基本原理と第9条の持つ理念に対しては、「信頼関係が築けない国と話し合いで対立を解決できると思っているのか!」とか「自国の国民を弾圧するような国と信頼関係を築いて話し合うことなどできるものか!」などと、諸外国と信頼関係を築くこと自体の実現可能性を批判する意見も少なからず聞こえてきます。

実際、私がYouTubeに投稿した動画でも、同じような趣旨のコメントを残している人が多数いますので、世の中にはこうした意見を持っている人が少なからず存在しているのでしょう。

コメント①

※YouTubeで大浦崑が公開している『【自民党のヤバい憲法改正案〔第二章〕の問題点】第二章の文言が「戦争の放棄」が「安全保障」に変えられているのは憲法の基本原理である「平和主義」の変質を意味する』の動画に付けられたコメント

コメント②

※YouTubeで大浦崑が公開している『国民を守るために存在する警察や軍隊は国民を抑圧するために武力を行使することもあるということ』の動画に付けられたコメント

コメント③

※YouTubeで大浦崑が公開している『憲法9条は軍隊を無くせば平和が実現できると思っているのか?』の動画に付けられたコメント

こうした批判をしたがる人が出てきてしまうのも、現行憲法の第9条として具現化されている平和主義の基本原理が「平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて提言を行ったりして、平和を実現するために積極的な行動をとるべきことを要請している(※芦部信喜著『憲法』56頁)」と考えられているからです(※参考→『憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由|憲法道程』『憲法9条は国防や安全保障を考えていない…が間違っている理由|憲法道程』)。

日本国憲法の基本原理である平和主義と第9条は、非武装中立・無抵抗主義を念仏のように唱えるだけで平和が実現できると考えているわけではなく、中立的な立場から国際社会と協調して平和実現のために積極的に努力することの中に日本国民の安全保障が実現できると考えていますので、諸外国と信頼関係を築くことが何より不可欠です。

しかし、軍事力で攻撃しようとする国が他国と信頼関係を築くことなどできませんし、莫大な人的・経済的資源を浪費させる軍事力を保有することは財政的な面で国家の負担となりますから、平和を実現させるための外交努力に国の人的資源と経済的資源を集中させる意味でも、軍事力は有害無益です。

そのため、日本国憲法は第9条で国家権力に対して「戦争をするな!(戦争の放棄)」「軍隊を持つな!(戦力の不保持)」「軍事力を行使するな!(交戦権の否認)」と歯止めを掛けて、軍事力とその行使の一切を否定しているわけです。

ですが、そうは言っても、たとえばロシアとは北方領土の問題で、北朝鮮とは拉致被害者の問題で、中国とは尖閣諸島の問題で対立関係が続いていますから、それらの諸問題が信頼関係と話し合いで解決できているとは言えない状態が現実にあります。

また、中国や北朝鮮は自国の国民の人権を強く制限していて、国民の人権を最大限に保障しようとする日本国憲法が施行されている日本から見れば、とても自国の国民を大切にしているとは思えない国に見えますから、そうした国民を弾圧する国と信頼関係を結んで話し合いで紛争を解決するのは事実上困難なようにも思えます。

そのため、こうした状況に不満や不安を抱えている人たちが「ロシアや中国や北朝鮮に話し合いが通じるのか!」「話し合いが通用しない奴らと信頼関係など築くことができるわけないだろうが!」と怒り出して「信頼関係が築けない国と話し合いで解決できると思っているのか!」とか「自国の国民を弾圧するような国と信頼関係を築いて話し合うことなどできるものか!」と憲法9条に八つ当たりしてしまう状況が現れてしまうわけです。

「話し合いや信頼関係で戦争が防げるものか」との批判的意見の検証

もっとも、この「話し合いで解決できると思っているのか!」とか「自国の国民を弾圧するような国と信頼関係を築いて話し合うことなどできるものか!」などという意見は、明らかに間違っていることが分かります。

なぜなら、そもそも日本国憲法の平和主義と第9条は「平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて提言を行ったりして、平和を実現するために積極的な行動をとる」外交努力の中に日本国民の安全保障が確保できるという確信を基礎にしているのであって、ただ単に「話し合い」や「信頼関係」だけで国際紛争が解決できると考えているわけではありませんし、過去の歴史的事実を前にすれば「話し合い」や「信頼関係」を否定して軍事力で安全保障を確保する道は、日本に残されていないと言えるからです。

(1)平和主義と第9条は「そもそも攻められない国」にすることで安全保障を確保するもの

この点、まず理解しておきたいのは、憲法の平和主義と9条が国外勢力との対立をただ「話し合い」や「信頼関係」だけで解決できるなどと考えているわけではないという点です。

先ほども述べたように、憲法の基本原理である平和主義は「平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて提言を行ったりして、平和を実現するために積極的な行動をとるべきことを要請している(※芦部信喜著『憲法』56頁)」と考えられていますので、平和を実現するための外交努力を積極的に実行していくことが必要不可欠となります。

憲法の平和主義と第9条は、中立的な立場から、国際社会と協調して積極的に世界平和を実現させるための外交努力を続けることによって世界平和の実現に貢献し、そこで得られる信頼と協調関係の中に、日本国民の安全保障が実現できると考えているわけであって、他国と紛争が起きた時や国外勢力が攻めてきたときに「ちょっと待ってよ、話し合いで解決しましょうよ」という姿勢で平和が実現できると考えているわけではないのです。

こうした平和主義と第9条の理念からは、『対処療法的』な視点ではなく『原因療法的』な視点で安全保障を考えていることがわかります。

戦前の日本もそうですが、諸外国は他国からの攻撃を排除するための軍事力に安全保障のための人的・経済的資源を集中させて「他国が攻めて来ても撃退できる国」にすることで国民の安全保障を確保しようと考えますので、それは安全保障を『対処療法的』な視点で捉えていると言えます。

一方、日本国憲法の平和主義と9条は、中立的な立場から積極的に外交努力を重ねることで世界平和の実現に貢献し国際的な信頼を得ることによって、そもそも日本を「他国から攻められない国」にすることで国民の安全保障を確保しようとしますから、それは国の安全保障を『原因療法的』な視点で捉えているものと言えます。

つまり、日本国憲法の平和主義と第9条は、他国との間で生じた対立関係や戦争を「話し合い」や「信頼関係」によって解決することだけを目的にしているのではなくて、国際的に中立的な立場から積極的な外交努力を重ねることで世界平和の実現に貢献し、そこで得られる国際的に協調した「信頼関係」の中で「話し合い」に尽力することで『そもそも他国との間で対立関係や戦争が生じてしまわないような国』にすることを目的としているわけです。

日本国憲法の平和主義と第9条は、「話し合い」や「信頼関係」によって外交対立を解消させようとするわけですが、それはただ漫然と平和を謳歌した中で「話し合い」や「信頼関係」によって国際的な対立や紛争を防ぐことができると考えているわけではありません。

憲法の平和主義と第9条は、国際的に中立的な立場から積極的に外交努力を重ねることで世界平和の実現に貢献し、そこで築かれる「信頼関係」によって「話し合い」を重ねることで、日本を「攻めてくる」ような国が生じてしまう危険を未然に防ぎ、日本を「そもそも他国と対立関係を生じさせない国」に、「そもそも他国が攻めてこようと思わない国」にすることで、国民の安全保障を確保しようと考えているのですから、その違いを十分に理解する必要があるのです。

ところで、このように考えると、先ほど挙げたコメント欄のような意見が間違っていることがわかります。

たとえば、一つ目に紹介したコメント①の「平和主義を掲げて侵略されたらどうする?」との部分は、憲法の平和主義と第9条が外交努力を重ねることで「そもそも侵略されない国」にすることで国民の安全保障を確保しようとしているにもかかわらず、「侵略された」ことを前提として議論を展開している点で憲法の平和主義の基本原理と第9条の本質を全く理解できていません(※この点の詳細は→『憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由|憲法道程』).

また、「北朝鮮に話し合いが通じるのか」との部分も、憲法の平和主義と第9条が中立的な立場から諸外国との間で対立関係や紛争が生じない努力を要請しており、そもそも北朝鮮の拉致事件のような国家的犯罪が起きてしまわないようにすることで国民の安全保障を確保しようとしている点を全く理解できずに、あたかも拉致事件の原因や、その問題を解決できない原因が憲法9条にあるかの如く錯覚してしまっている点で、的外れと言えます(※なお、拉致問題と憲法9条の関係については『北朝鮮の拉致事件は憲法9条のせいだ…が間違っている理由|憲法道程』及び『憲法9条があるから北朝鮮の拉致問題が解決しない…が嘘の理由|憲法道程』を参照ください)。

(2)中立的な立場を維持しなければどんな相手であろうと信頼関係は結べない

もっとも、このようにかみ砕いて説明しても、「信頼関係が築けない国と話し合いで解決できると思っているのか!」とか「自国の国民を弾圧するような国と信頼関係を築いて話し合うことなどできるものか!」と憲法9条を批判している人たちはおそらく納得しないでしょう。

北方領土の問題で対立し北海道方面に爆撃機を飛ばして自衛隊にスクランブルを掛けさせているロシアや、拉致問題が未解決なうえ日本海にミサイルを撃ち込む北朝鮮や、尖閣諸島周辺に軍船を航行させる中国などがあることを考えれば、それらの国と信頼関係を築くなど不可能にも思えるからです。

しかし、こうしたロシアや中国や北朝鮮との信頼関係を損なう対立状況を創り出している責任は、日本国憲法の平和主義や9条にはありません。

なぜなら、歴代の日本政府は、国の安全保障において憲法の基本原理である平和主義と第9条を真摯に遵守し、その理念を具現化させようと努力してきたとは到底言えないからです。

先ほど説明したように、憲法の基本原理である平和主義と第9条は、国際的に中立的な立場から世界平和を実現させるための紛争解決の助言や提言、経済支援など積極的な行動をとるべきことを要請していますから、この平和主義と第9条の理念を遵守するのであれば、国際関係において一方の国や勢力に加担して他方の国や勢力と敵対関係に立つことは許されません。

では、戦後の日本は、その憲法の平和主義と第9条の理念を具現化するべく、国際的に中立的な立場で世界平和の実現に尽力してきたと言えるでしょうか。答えは否です。

たとえばロシアとの関係で見れば、日本はソ連と対立するアメリカと日米安保条約という事実上の軍事同盟を結ぶことでアメリカ軍に軍事基地を提供し、ソ連(冷戦後はロシア)に脅威を与えてきました。

北朝鮮との関係も同じです。先の大戦後の朝鮮半島ではソ連が支援する北朝鮮とアメリカが支援する韓国との間で朝鮮戦争が勃発しましたが、日本はアメリカと日米安保条約を結ぶことで北朝鮮を攻撃するアメリカを援助し続けてきました。

これは中国との関係でも変わりません。戦後の中国は中国共産党が掌握した大陸側(中華人民共和国)と国民政府が残った台湾側(中華民国)で二つの中国が併存する状況が続いていますが、日本は台湾を支援するアメリカと日米安保条約を結ぶことで、台湾を統一しようと考える中国と敵対的な立場に立つ道を選択しています。

これらの事実から明らかになるのは、戦後の日本が憲法の平和主義と第9条の理念を具現化するべく、国際的に中立的な立場から紛争解決のための助言や提言をすることで世界平和の実現に貢献するどころか、アメリカに加担することで、アメリカとロシア(ソ連)、アメリカと中国、あるいはアメリカと北朝鮮との間で生じた対立を助長して、世界平和の実現を損ない続けてきた事実です。

しかも日本は、憲法の平和主義と第9条を具現化するのであれば安全保障のための人的資源と経済的資源を外交努力に集中させなければならないにもかかわらず、事実上の軍隊に他ならない自衛隊に莫大な安全保障予算をつぎ込んできました。

つまり戦後の日本は、国際的に中立的な立場から世界平和を実現させるための紛争解決の助言や提言、経済支援など積極的な行動をとるべきことを要請した憲法の平和主義と第9条を守らずに、アメリカの手先となってロシアや中国、北朝鮮と敵対してきたわけです。

これではロシアや中国、北朝鮮と信頼関係を築くことなどできるわけがありませんし、話し合いで問題が解決するわけがありません。当たり前の話です。

これはなにも、日本やアメリカの主張が間違っているとか、ロシアや中国や北朝鮮の言うことが正しいなどということを言っているのではありません。国際的に中立的な立場からアメリカとロシア・中国・北朝鮮との間で生じてきた紛争を解決するための努力をしてこなかったという事実を指摘しているのです。

こうした事実を踏まえれば、ロシアや中国、北朝鮮と信頼関係を築けないこと、またそれらの国との問題を話し合いで解決できないことについて、憲法の平和主義や第9条にその原因がないのがわかるでしょう。

仮に歴代の日本政府が憲法の基本原理である平和主義と第9条を遵守して、国際的に中立的な立場から米ロ、米中、米北の対立を解消するための外交努力に尽力してきたうえで今の対立関係が生じたと言うのであればそれは憲法の平和主義と第9条の失敗と言えますが、そうではない以上、憲法の平和主義と第9条には何の罪もないのです。

領土問題や拉致問題がそれらの国との「信頼関係」や「話し合い」で解決できない原因は、憲法の平和主義や第9条にあるのではなくて、憲法の平和主義や第9条を守らずに、アメリカに追随してそれらの国々と敵対してきた歴代の日本政府における安全保障施策の失敗が、「信頼関係」や「話し合い」による解決を阻害してきた原因に他なりません(※詳細は→『憲法9条があるのに北方領土が返還されない本当の理由|憲法道程』『北朝鮮の拉致事件は憲法9条のせいだ…が間違っている理由|憲法道程』。

「憲法の平和主義があるから」「憲法9条があるから」領土問題や拉致問題が信頼関係や話し合いで解決しないのではなくて、歴代の政府が「憲法の平和主義があるのに憲法の平和主義を無視してきたから」また「憲法9条があるのに憲法9条を無視してきたから」解決できないだけなのです。

以上を踏まえると、冒頭で紹介したコメント①の「北朝鮮に話し合いが通じるのか?」との部分が間違っているのがわかります。戦後の日本が憲法の平和主義と9条を遵守して国際的に中立的な立場を維持してアメリカに加担することなくアメリカと北朝鮮との和平に尽力していれば、拉致事件が生じなかったばかりか、たとえ拉致事件が発生していたとしても話し合いで解決できた可能性があるからです(※詳細は→『北朝鮮の拉致事件は憲法9条のせいだ…が間違っている理由|憲法道程』)。

なお、コメント②の「お前はその中国と信頼関係を結ぼうって言ってんだぞ」「日本とだけは誠意ある紳士的な対応をするとでも思っているのか」との部分は、中国政府が香港政府を使って間接的に香港市民を弾圧している点を根拠にしているのだと思われますが、この意見は国家と市民(国民)との間における信頼関係と、国家間(政府間)における外交上の信頼関係という本質的に性質の異なる別個の関係をパラレルに論じている点で失当と言えます。こうした無意味な議論を展開してしまう人がごく稀にいますが、憲法9条に関する議論自体深まりませんし時間の無駄ですのでやめた方がいいでしょう。

もっとも、憲法の平和主義と9条を遵守して、アメリカと日米安保条約など結ぶことなく、国際的に中立的な立場を維持することで中国と台湾との紛争解決、あるいは中国とアメリカとの対立解消に尽力していれば、日本と中国の間で信頼関係が築けた可能性があるということは付言しておきます。

(3)軍事力による安全保障が機能しない日本には話し合いの道しか残されていない

では、そもそもなぜ日本が軍事力ではなく、「そもそも攻められない国」にすることで国民の安全保障を確保しようとしなければならないかというと、それは仮に日本が「攻められた」としたら、その時点でその将棋は詰むからです。

憲法9条を改正して憲法に軍隊を明記し、軍事力で国を守るべきだと考える人は、日本が軍事的に強い国だとか、戦争すれば勝てる国だとか考えているのかもしれませんが、それは大きな勘違いです。

「日清戦争や日露戦争に勝ったではないか」と言う人もいるかもしれませんが、日清戦争当時の清国は清朝末期でそもそもまともな戦争ができるような状態ではありませんでしたし、日露戦争当時のロシアも欧州側防備のため極東に兵を集中できなかったから苦戦しただけで、あのまま戦争が継続してシベリア鉄道で大規模な部隊が極東に送られていたら旅順の日本軍はただでは済まなかったでしょう。

先の大戦も同じです。当時の日本は300万人を超える陸軍と、米英に次ぐ世界第二位の強力な海軍を保持していただけでなく、中国には満州や青島・上海などの権益を持ち、自国の領土に組み入れた朝鮮半島や台湾や南樺太からも莫大な人的・経済的資源や資産を搾取できた状況にありながら、軍事力では日本にはるかに劣る中国との戦争すら終結させることができませんでした。

これは中国だけの話ではありません。ノモンハン事件では死傷者数こそソ連を下回りましたが、装備で甚だしく劣る日本軍の将兵は火炎瓶で対抗するのを強いられた挙句、重戦車を中心にした火力に勝るソ連軍にコテンパンに蹂躙されています。

「北朝鮮になら勝てるだろう」と思う人もいるかもしれませんが、仮に北朝鮮と戦争になれば北朝鮮が西側陣営に組み込まれるのを嫌う中国やロシアが確実に支援しますので、日中戦争における旧日本軍と同様に終りの見えない泥沼の戦闘に引き込まれてしまうのは明らかでしょう(※詳細は→憲法9条があるから北朝鮮の拉致問題が解決しない…が嘘の理由)。

アメリカとの戦争で全く歯が立たなかったのも周知の事実です。

つまり日本は、過去の歴史を振り返ってみても、崩壊寸前だった清国を除いて軍事力で他国との対立を解消できたことが一度もないのです。

そしてこうした事実は、軍事力で国を守る安全保障施策というものが、欧米諸国はともかく地理的な問題も含めた様々な条件を持つ日本に限って考えれば、全く機能しないことが歴史的に証明されたことを意味します。

そのため戦後の日本は、国外勢力からの攻撃に武力で反撃する軍事力を強化するという従前の『対処療法的』な視点ではなく、中立的な立場から積極的な平和外交で得られる国際信用と平和実現への努力によって日本に生じ得る危険を未然に防ぎ、日本をそもそも「攻められない国」に、日本を「攻めてこようと思われない国に」することで国を守るという『原因療法的』な視点で国民の安全保障を確立させることを決意し、そのためは軍事力があっては有害無益なので憲法の前文で平和主義の基本原理を宣言し、憲法9条で「戦争をするな!(戦争の放棄)」「軍隊を持つな!(戦力の不保持)」「軍事力を行使するな!(交戦権の否認)」と規定して、国家権力に歯止めを掛けたのです。

3つの超大国と国家予算のほとんどを軍備につぎ込む国に囲まれた日本が、軍事力で安全保障を確保することは地理的・経済的・財政的な面を考慮すれば極めて困難であって、それが現実にも不可能であったことは先の戦争における敗戦で歴史的に証明されています(※この点は『日本が軍隊で国民を守れない(戦争に勝てない)7つの理由』のページでより詳しく論じています)。

つまり、もはや日本には「平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて提言を行ったりして、平和を実現するために積極的な行動をとる」ことで世界平和の実現に貢献し、紛争の種となるような危険を未然に防ぐことで国民の安全保障を確保していく道しか残されていないのです。

以上を踏まえれば、冒頭で紹介したコメント①のうち「平和主義などは戦勝国が日本を縛るために制定したのだよ」と述べて「信頼関係」や「話し合い」で国際紛争を解決する手段を否定した部分は、戦後の日本国民が軍事力で国民の安全保障を確保することができないことに気づいたからこそ平和主義の基本原理を採用したにもかかわらず、あたかもそれが連合国側に「押し付けられた」ものだと捻じ曲げて理解している点で明らかな事実誤認と言えます(※いわゆる「押しつけ憲法論については→『「押し付け憲法論」を明らかに嘘だと批判し反論できる15の理由|憲法道程』。

(4)話し合いで解決できないというのなら周辺国の全てと戦争しなければならなくなる

憲法の平和主義の基本原理や第9条に対して「信頼関係が築けない国と話し合いで解決できると思っているのか!」とか「自国の国民を弾圧するような国と信頼関係を築いて話し合うことなどできるものか!」 と批判する人は、憲法を改正して軍事力を保持し、その強力な軍事力をもって国民の安全保障を確保すべきと述べていますから、その立場に立つのであれば諸外国とのあらゆる対立関係を戦争で解決しなければなりません。

この点、「必ずしも戦争するわけではなく強力な軍事力を背景にした抑止力で交渉を有利にするのだ」と言う人もいるかもしれませんが、抑止力は現実に使うことができるからこそ抑止力になるのであって、そもそも使う気がない軍事力は相手国の脅威となりません。必ずしも使うわけではない「抑止力のためだけの軍事力」など存在しないのです。

刀はいつでも抜ける状態にあるから抑止力になるのであって、柄袋を掛けたままの侍は何の脅威にもならないでしょう。

ところで、先ほど述べたように、今の日本はロシアとの間に北方領土の問題で、北朝鮮との間に拉致問題で、中国との間に尖閣諸島の問題で対立関係が続いており、それらの諸問題が信頼関係や話し合いで解決できているとは言えない状況がありますから、「話し合い」や「信頼関係」でそれらの諸問題を解決しないと言うのなら、憲法9条を改正したあとにできる国防軍の行使する軍事力で、それらの諸問題を解決しなければなりません。

しかしそれが現実にできるでしょうか。

たとえば、先ほど説明したように日本は、日中戦争では軍事力ではるかに劣る中国を降伏させることもできないまま敗戦を迎え、ノモンハン事件では火力に勝るソ連軍に蹂躙されています。

また、仮に北朝鮮と戦争になったとしても、日中戦争でイギリスがビルマルートを利用してラングーンから重慶の蒋介石に武器弾薬を大量に輸送して支援したように中国やロシアから大量の支援物資が送られるのは確実ですから、日中戦争における日本陸軍のように終りの見えない泥沼の戦闘に巻き込まれてしまうのは確実です。

もちろん、中国と戦争になればロシアや中国と友好関係にある中東諸国が、ロシアと戦争になれば中国だけでなくロシアと友好関係にある中央アジアや東欧や中東諸国が支援しますから、それらの支援国をまとめて叩かない限り戦争を終結させることはできません。

「局地的な戦闘を有利に進めれば日露戦争のように講和を結んで終結させることができるはずだ」と思う人もいるかもしれませんが、日露戦争で講和できたのは当時のロシアが欧州側にも兵を残しておかなければならない事情があったからで、欧州からロシアや中国への侵攻が起きる可能性がない現代ではそうした事情は当てはまりません。相手国が降伏するまで戦争は終わらないでしょう。

そうした歴史的事実を踏まえれば、日本が戦争に勝てる可能性は常識的に考えてありません。そもそも装備の貧弱な日中戦争当時の中国との戦争も終わらせられなかった日本が、国力が充実した今の中国やロシアに勝てるわけがないのです。

この点「アメリカや欧州と軍事同盟を結び集団的自衛権を行使すれば勝てるはずだ」と言う人もいるかもしれませんが、アメリカや欧州が最後まで兵を送ってくれる保障はどこにもありません。

もちろん、ある程度は支援してくれるでしょうが、戦争が長引けば自国の議会や世論をおさえることはできませんので、頃合いを見て兵を撤退させるでしょう。そうなれば梯子を外された日本が単独でロシアや中国、北朝鮮と戦争を続けなければならないのです。それで戦争に勝てるでしょうか。

仮に梯子を外されれば、その後の日本はベトナム戦争における南ベトナムや、シリア内戦における反政府勢力のようになってしまう恐れもあります。それを甘受できるのでしょうか (※以上の点も『日本が軍隊で国民を守れない(戦争に勝てない)7つの理由』のページでより詳しく論じています) 。

つまり、日本が軍事力で安全保障を確保できないことは過去の歴史で証明されているわけですから、諸外国と信頼関係を築き、世界平和の実現に貢献することで戦争の発端となるような危険を未然に取り除き「信頼関係」に基づく「話し合い」で解決する道しか今の日本には残されていないわけです。

以上を踏まえれば、前に挙げたコメント①の「外交や話し合いで平和が保てるならば…」や「北朝鮮に話し合いが通じるのか」、コメント②の「信頼関係で平和が保てるのは、相手が平和を愛する公正と信義を兼ね備え、信頼に足りえる場合だけだ」、コメント③の「信頼関係で戦争を防げるのは、ある程度話の分かる相手だった場合だけだ」と述べられている部分は、歴史的事実を踏まえれば日本が戦争で国際紛争を解決する能力を保持できないことが明らかとなっているにもかかわらず、その事実を全く無視し、「話し合い」や「信頼関係」による対立解消を否定して、軍事力で国民の安全保障を確保できると妄信している点で、国民を戦争に引きずり込む極めて危険な意見であると言えます。

(5)戦争には講和条約の締結という「話し合いで解決する」概念が含まれる

最後に、憲法の平和主義の基本原理や第9条に対して「信頼関係が築けない国と話し合いで解決できると思っているのか!」とか「自国の国民を弾圧するような国と信頼関係を築いて話し合うことなどできるものか!」 と批判している人たちが勘違いしている点を一つ指摘しておきます。

これらの人たちが何を勘違いしているかというと、それは「戦争」という行為が、その戦争相手国との間における「信頼関係」や「話し合い」を前提としているという点です。

憲法の平和主義の基本原理と第9条を批判する人は、他国との信頼関係や話し合いでは解決できない問題もあるから軍事力を保持して戦争できるようにするべきだと主張しているのでしょうが、仮に軍事力を保持して戦争で解決するにしても、その戦争は「話し合い」や「信頼関係」を構築できる相手としかすることはできません。

なぜなら、始めた戦争は、いつか必ず終わらせなければならないからです。

では、その戦争を終わらせる手段は何かというと、通常は講和条約を結ぶことで終わらせます。先の戦争も、敗戦国の日本がポツダム宣言を受諾して降伏文書に調印し、サンフランシスコで講和条約を結ぶことで戦争を終結させました。これが戦争の終わらせ方です。

もちろん、講和条約を結ばなくても戦勝国が敗戦国を占領し、その敗戦国の国民を一人残らず虐殺するか人が住めないように核兵器や化学兵器で徹底的に汚染させるか、もしくは対立国を併合して自国に組み入れるかすれば、講和条約を締結することなく戦争を終わらせることができますが、そんな非人道的なことは現代の国際社会で容認されません。

火星人やインデペンデンスデイに出てくる宇宙人との戦争であれば皆殺しにすることも許されるかもしれませんが、地球上の人類に対する戦争でそんなことは許されません。仮に戦争をするにしても、必ず講和条約を結ばなければならないわけです。

しかし、講和条約は調印国の合意によって結ばれますから、その調印した国々と信頼関係を結べることが前提です。仮に講和条約を結ぼうとする相手国が「話し合い」のできない相手で「信頼関係」で戦争という対立問題を解消できない国であるのなら、講和条約を結んでも、何時その条約を破られるか分からないので講和条約など結べないからです。

この点、第一次世界大戦の敗戦によってドイツ帝国に革命が起きてワイマール共和国に代わったように、戦争に勝って相手国に政変を起こし、新しく樹立させた政府と講和条約を結ぶなら、相手国が「話し合い」のできない国で「信頼関係」を築けない国であっても戦争できるではないか、と考える人もいるかもしれませんが、政変を起こすか否かはその相手国の主権者である国民が決めることであって、戦勝国がそれを強要することはできません。

仮に政変が起きなければ従前の政府と講和条約を結ばなければなりませんし、政変が起きたとしても主権者が選んだ新しい政権が国民を弾圧する政府であれば、結局は従前と本質的に変わらない政府と講和条約を結ばなければならないでしょう。

そうであれば、「戦争」という概念の中に、その戦争相手国が「話し合い」のできる相手であって「信頼関係」でその戦争という対立関係を解消できるという認識も必然的に含まれていることになりますから、戦争をするという選択の中に、その戦争相手国との間で「話し合い」や「信頼関係」が構築できるという認識も含まれているということになります。

つまり、憲法の平和主義や第9条を批判している人は「信頼関係が築けない国と話し合いで解決できると思っているのか!」とか「自国の国民を弾圧するような国と信頼関係を築いて話し合うことなどできるものか!」などと言いますが、そう批判して憲法を改正し軍隊を保持して戦争できるようにしたとしても、その軍隊によって戦争する相手とはいつか必ず講和条約を結ばなければならない以上、「話し合い」や「信頼関係」を構築できることが前提になっているので、そうした批判は軍隊を持って戦争ができるようにするための憲法改正を正当化する理由にはならないわけです。

仮に戦争を選択するとしても、その相手国は「話の分かる相手」であって「信頼関係で」戦争という対立関係を解消できる相手であるということが前提となっているのですから、憲法の平和主義や第9条が要請しているように、国際的に中立的な立場から紛争解決のための助言や提言など外交努力を重ねることで信頼関係を構築し話し合いを重ねることで対立を未然に防いだり、生じた問題を話し合いで解決できる可能性もあるはずなのです(※この点の詳細は→「信頼で戦争を防げるのは話のわかる国だけ」との憲法9条批判検証)。

それにもかかわらず、憲法の平和主義や第9条を批判する人たちは、「戦争」という概念が相手国との間で「信頼関係」や「話し合い」によって対立関係を解消できることが前提となっていることを全く無視して、「信頼関係」や「話し合い」では対立関係を解消できないから「戦争」できるように憲法を改正すべきなのだと憲法改正を正当化しているのですから、その理屈自体矛盾しています。

その矛盾に気づかないから、いつまでたっても憲法の平和主義や第9条に関するまともな議論が始まらないのです。

憲法9条を改正して憲法に自衛隊や国防軍を明記して軍事力で国民の安全保障を確保する道を選ぶのか、それとも憲法の平和主義と第9条を守って、国際的に中立的な立場から世界平和の実現に貢献し、諸外国との信頼関係と話し合いで戦争になる危険を未然に防ぐことで国民の安全保障を確保する道を選ぶのか、それは制憲権を持つ主権者である国民が決めることですので、国民が十分に話し合えばよいことです。

しかし、「信頼関係が築けない国と話し合いで解決できると思っているのか!」とか「自国の国民を弾圧するような国と信頼関係を築いて話し合うことなどできるものか!」などと、あたかも他国と信頼関係を築くことが不可能であるかの如く、あたかも話し合いで国際紛争を未然に防ぐことが実現不可能であるかの如く、論理的な矛盾を含む理屈で憲法の平和主義の基本原理と第9条を批判するのは明らかに間違っています。

憲法の平和主義や第9条を批判するのであれば、なぜ平和主義と第9条の理念に基づく信頼関係や話し合いで未然に紛争を防ぐことができないと言えるのか、また、この日本において軍事力で国民の安全保障を確保することが不可能であることが歴史的事実として証明されているにもかかわらず、なぜ憲法に軍隊を明記して戦争ができるようにするだけで国民の安全保障を確保することができると言えるのか、理論的に納得できる説明をすべきでしょう。

その努力をしないまま、矛盾を含む破綻した理屈でいくら憲法の平和主義や第9条を批判したとしても、憲法の平和主義や第9条の議論は一ミリも進みません。

そんな無駄な議論をしても何の意味もないのですから、一人でも多くの軍国主義者がその間違いに気づいてくれることを望みます。

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