日本が軍隊で国民を守れない(戦争に勝てない)7つの理由

日本国憲法は基本原理として平和主義を採用し、憲法9条で戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認の三つを規定して自衛戦争も含めたすべての戦争と軍隊の保持を禁止していますから、国外勢力との間で戦争が起きてしまわないように、積極的な外交努力を重ねて戦争の種になるような危険を未然に防がなければなりません(※参考→『憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由|憲法道程』『憲法9条は国防や安全保障を考えていない…が間違っている理由|憲法道程』)。

しかし、外交努力では戦争を防ぐことができないという意見も多く聞かれます。

そうした意見を持つ人たちは、軍隊と戦争を否定した憲法9条があるせいで日本の安全保障が脅かされていると考えており、日本も諸外国と同じように軍隊を持ち、軍事力で国を守ることができるようにすべきであると主張して、憲法9条の改正を強く訴え続けています。

では、仮に彼らが言うように軍事力で国を守る選択をしたとして、日本は本当に軍隊で国民を守ることができるのでしょうか。

日本が軍隊・軍事力で国民を守れない(戦争に勝てない)7つの理由

この点、結論から言えば、日本が軍事力(軍隊)で国民を守ることはできないと考えます。

なぜなら、次の(1)~(7)の観点から考える限り、日本が軍事力で国民の安全保障を確保することは極めて困難であって、仮に戦争したとしても勝てる要素を何一つ見つけることができないからです。

(1)歴史的観点から

まず、歴史的観点から考えて、日本が軍隊(軍事力)で国民の安全保障を確保することは極めて困難と言わざるを得ません。

なぜなら、過去の歴史を振り返れば、日本の国力で戦争をして勝てる国はないからです。

この点「日清戦争や日露戦争では勝ったではないか」と言う人がいるかもしれませんが、日清戦争当時の清国は清朝末期で内政的にも腐敗が進行し、とてもまともな戦争ができるような状態ではありませんでしたから、日清戦争における戦勝の事実は何の参考にもなりません。

また、日露戦争では確かに勝ったと言えますが、日露戦争を講和で終わらせることができたのは当時のロシアが欧州側防備の必要性から極東に兵を集中できなかったという日本側に有利な条件があったからにすぎません。もちろん、海軍は対馬沖で圧勝し、陸軍も旅順の要塞を陥落させましたが、仮にあのまま講和せず戦争を続けていれば、シベリア鉄道で送られる大規模な兵力によって旅順の日本軍は甚大な被害を受けていたでしょう。

つまり日露戦争も、ロシア側で極東に専念できない事情があったから講和できただけで、日本の軍事力がロシアにまさったことが証明されたわけではないのです。これは、ポーツマス講和会議においてロシア側から賠償金の支払いを拒否された事実からも明らかでしょう。

その後の戦争も同じです。

たとえば昭和14年(1939年)にソ連との間で起こしたノモンハン事件では、死傷者数こそソ連を下回りましたが、装備で甚だしく劣る日本軍は火炎瓶で対抗するのを強いられた挙句、重戦車を中心にした火力に勝るソ連軍にコテンパンに蹂躙されています。

中国との間では、日露戦争でロシアから引き継いだ満州鉄道などの権益と満州への移民政策を巡って対立し、昭和2年(1927年)の山東出兵や昭和3年(1928年)の張作霖爆殺事件、昭和6年(1931年)の満州事変と侵略を続けた挙句、最終的には昭和12年(1937年)の盧溝橋事件をきっかけに戦争によって満州問題を決着させようとしましたが、当時の日本は300万人を超える陸軍と、米英に次ぐ世界第二位の強力な海軍を保持していただけでなく、中国には傀儡国家の満州や青島などに権益を持ち、自国の領土に組み入れた朝鮮半島や台湾や南樺太からも莫大な人的・経済的資源資産を搾取できたにもかかわらず、軍事力では日本にはるかに劣る中国とのその戦争すら終結させることができませんでした。

そして、その装備の貧弱な中国との戦争を終結させるためには中国を支援する米英仏蘭からの物資援助を遮断し、あわせて戦争遂行に必要となる物資を調達する必要性からフランス領インドシナやマレー半島、ビルマにも軍隊を進めなければならなくなり、そのために始めたのが真珠湾から始まる太平洋戦争ですが、その戦争でアメリカに全く歯が立たなかったのは言うまでもありません。

このように、過去の歴史を振り返れば日本の国力で戦争をして勝てる相手はまずありません。過去の歴史的事実を前にすれば、常識的に考えて日本が軍事力で国民の安全保障を確保するなど夢物語なのです。

(2)経済的観点から

経済的な観点で考えても、日本が軍事力で国民の安全保障を確保できる可能性はほぼありません。

なぜなら、日本が戦争などしてしまえば、国内経済が立ちいかなくなってしまうからです。

軍隊を保持して自衛のための戦争ができるように憲法9条を改正すべきだと主張している人のほとんどは、ロシアとの間で北方領土の問題が、中国との間で尖閣諸島の問題が、あるいは北朝鮮との間で拉致問題やミサイルの問題が解決していないことに不満や不安を抱えて、これらの国が「攻めてくる(侵略してくる)」と主張しているのでしょうから、その主張が正しいとすればこれらの国々と戦争を始めなければなりません。

しかし考えてみてください。仮にこれらの国と戦争になった場合、戦場になるのはどこでしょうか。ヨーロッパや中東やアフリカでしょうか。もちろん違います。日本海や東シナ海、尖閣諸島や北海道の近海、あるいは日本の領土です。

そんなところで戦闘が始まれば、地政学的リスクを嫌気した投資家は日本の市場から資金をすべて引き上げてしまいますから株式市場は暴落し、為替市場で円も叩き売られてしまいます。仮にそうなれば日本は急激なインフレに陥ってしまうでしょう。

仮にハイパーインフレにならなくても中国との貿易はストップしますから、原材料が確保できなくなった工場は操業を停止しなければなりませんし、スーパーの食料品もほとんどが姿を消してしまうかもしれません。

この点、中国と戦争になるならともかく、ロシアや北朝鮮との戦争で中国との貿易がストップするわけがないと思うかもしれませんが、ロシアや北朝鮮と戦争すれば中国が必ず支援しますから経済制裁で圧力をかけて来るでしょう。もちろんそうなれば中国側にも不利益は出るでしょうが、日本とは比較にならないぐらい受ける損失は小さいはずです。

また、仮に中国と戦争になった場合に中国側がマラッカ海峡から南シナ海を通る貿易ルートを封鎖することで、中東や東南アジアと日本を往来するタンカーが自由に航行できなくなることも懸念されます。西回りで太平洋側から回り込むこともできますが、それでは輸送費がかさんでしまいます。仮にそうして原油や工業資材等の高騰を招けばガソリンだけでなく農商工業すべての分野で価格に転嫁されますので、それこそハイパーインフレになってしまうかもしれません。

当然、海外からだけでなく国内の旅行者も激減しますから国内の観光業は破綻してしまいますし、穀物をはじめ農産物の多くを輸入に頼る中でタンカーの往来が滞れば国民の多くは途端に飢餓に陥ってしまうでしょう。

このように、現在の日本経済に中国の存在を無視できるほどの体力はありませんから、中国やその他の国との貿易に影響が出ることを考えれば、ロシアや中国、北朝鮮との間で戦争などできるわけがありません。

経済が破綻してもよいと開き直るなら別ですが、それができない以上、日本がこれらの国との対立を軍事力で解消するなど常識的に考えて不可能です。

(3)財政的観点から

財政的な観点から考えても、日本が軍隊で国民の安全保障を確保することは極めて困難です。

なぜなら、予算がないからです。

近年の国家予算は補正予算を別にすれば年100兆円を少し超えるぐらいでしょうか。内訳は税収分が50兆から60兆円、不足分の50兆円ほどを建設国債や赤字国債で補っているのが現状で、そのうち防衛費はだいたい5兆円程度(※2022年度予算では6兆円を超える予定)で推移しているものと思います。つまり、現在の一般会計に対する防衛費(軍事費)の比率は、赤字国債等を考慮した場合で5~6%、税収ベースで考えれば10~12%程度ということになります。

もっとも、憲法9条を改正して軍事力で国民を守るなら、在日米軍に頼らなくても自衛できるだけの戦力を整えなければなりませんから5~6兆円では到底足りません。仮に憲法9条が改正されれば防衛費(軍事費)はさらに膨らんでいくでしょう。

もちろん、これは戦争が起きていない平時の防衛費ですから、仮に戦争が勃発すれば、これにプラスして莫大な臨時軍事費が国家予算から割り当てられることになります。

ところで、では過去の日本で国家予算における軍事費の割合はどれぐらいで推移していたのでしょうか。

この点、明治以降における一般会計と臨時軍事費との純計にたいする直接軍事費(陸海軍省費と臨時軍事費、および徴兵費の合計)の比重は財務省で公開されている資料(「昭和財政史(戦前編)第4巻 臨時軍事費」大蔵省昭和財政史編集室偏 東洋経済新報社|財務省)で確認できます。明治以降の全てを確認するのは面倒なので、その財務省の資料から日清戦争以降の軍事費の推移を確認してみましょう。

時期軍事費の割合参考事項
明治27年(1894)69.2%日清戦争
明治28年(1895)65.5%日清戦争終結
明治29年(1896)43.5%海軍第一次拡張、陸軍十年計画
明治30年(1897)49.2%陸軍師団増設(明33まで)
明治31年(1898)51.5%
明治32年(1899)45.0%
明治33年(1900)45.5%義和団事件
明治34年(1901)38.4%
明治35年(1902)29.6%日英同盟締結
明治36年(1903)47.6%海軍第二次拡張開始
明治37年(1904)81.8%日露戦争
明治38年(1905)82.3%日露戦争終結
明治39年(1906)54.3%
明治40年(1907)34.8%陸軍充実計画、常備19師団制
明治41年(1908)33.5%
明治42年(1909)32.9%帝国国防計画決定
明治43年(1910)32.2%朝鮮併合
明治44年(1911)34.7%
大正元年(1912)33.6%
大正2年(1913)33.4%
大正3年(1914)49.2%日独戦争、青島占領
大正4年(1915)39.7%二十一カ条の要求
大正5年(1916)42.8%朝鮮師団増設
大正6年(1917)44.8%八四艦隊予算
大正7年(1918)58.0%シベリア出兵、八六艦隊予算
大正8年(1919)65.0%
大正9年(1920)46.8%尼港事件、樺太占領、八八艦隊
大正10年(1921)41.9%
大正11年(1922)45.5%山東撤兵条約、ワシントン軍縮
大正12年(1923)34.1%
大正13年(1924)30.0%
大正14年(1925)29.3%四個師団廃止
昭和元年(1926)27.7%
昭和2年(1927)28.0%第一次山東出兵
昭和3年(1928)28.5%第二~三次山東出兵
昭和4年(1929)27.1%
昭和5年(1930)28.5%ロンドン軍縮
昭和6年(1931)31.2%満州事変
昭和7年(1932)35.9%上海事変
昭和8年(1933)37.9%
昭和9年(1934)44.0%対ソ作戦24個師団配備
昭和10年(1935)46.1%
昭和11年(1936)47.7%
昭和12年(1937)69.0%盧溝橋事件(以降日中戦争)
昭和13年(1938)76.8%
昭和14年(1939)73.4%ノモンハン事件
昭和15年(1940)72.5%
昭和16年(1941)75.7%真珠湾攻撃(以降太平洋戦争)
昭和17年(1942)77.0%
昭和18年(1943)78.5%ガダルカナル島撤退
昭和19年(1944)85.5%
昭和20年(1945)44.8%敗戦
※出典:大蔵省昭和財政史編集室偏「昭和財政史(戦前編)第4巻 臨時軍事費」東洋経済新報社|財務省 4~5頁を基に作成

こうして統計を見ると、日清戦争以降の日本の国家予算に占める軍事費の割合は、どんなに低い年でも30%に近く、おおむね40%前後で推移していて、戦争が起きた時には70~80%前後、敗戦前年の昭和19年には90%近くに達していたのが確認できます。

もちろん、この期間の日本は朝鮮半島や台湾や南樺太や、中国の満州や青島や上海などの権益から莫大な人的資源と経済的資源を搾取することができましたので、そうして搾取した資産を加えたうえでこれだけの予算を軍備につぎ込んできたということになります。

これから分かるのは、軍国主義国家だったかつての日本が膨大な戦費を投じても戦争に勝てなかった事実です。

日中戦争が始まって以降の軍事費は国家予算の70%を超えていますが、それだけの予算を投じても戦車や銃火器の近代化に対応できなかった日本陸軍はノモンハンでソ連軍の重戦車にコテンパンに蹂躙されていますし、しかもその日本よりさらに貧弱な装備しか持たなかった中国との戦争すら終結させることができていません。

真珠湾以降の対米戦争に至っては、敗戦前年には国家予算の90%近くを軍事費に充てながら連合艦隊を壊滅させられたうえ、原爆を二発も落とされて負けてしまっています。

たしかに日清日露の戦役では戦争にこそ勝ったと言えますが、国家予算の80%を超える軍事費を支出してようやく欧州側に半分の兵力を残したロシア軍と互角に戦えたレベル、国家予算の70%近くを軍事費に充ててようやく内政ガタガタの腐敗した清朝に勝つことができたレベルに過ぎません。

つまり日本という国は、国家予算からこれだけの軍事費を割いてもこの程度の戦争しかできない国なのです。

国家予算の70%から90%を充てても装備の貧弱だった当時の中国との戦争を終結させることすらできず、ノモンハンでソ連にコテンパンに蹂躙された国が、なぜ国力の充実した今の中国やロシアに勝てるのでしょうか。

仮に戦争したとして、いったい国家予算からどれだけの軍事費を割けば勝てると言うのでしょうか。国家予算の200%なのでしょうか、それとも300%なのでしょうか。1~2年なら日銀に円を刷らせて戦時国債(赤字国債)を買わせればそれも可能でしょうが、そんなことは何年も続けられるものではありません。それこそハイパーインフレになってしまいますが、そんな国で国民の生活は成り立っていくのでしょうか。

憲法9条を改正して軍隊を持ち、自衛のための戦争ができるようにするべきだと主張する人は少なくありませんが、軍事力で国民を守るには莫大な軍事費を必要とします。戦車や戦闘機やイージス艦やミサイルはタダではないのです。

めぼしい資源もなく、食料自給率(カロリーベース)が50%を割り込むような状況で、人口は減少し、社会保障もままならず、製造業は韓国や中国に取って代わられて、国際競争に勝てる新しい産業もロクに育てられないこの国が、いったいどうやって超大国を圧倒できる軍備を賄うだけの国家予算を維持できるのか、私にはわかりません。

憲法9条を改正して軍隊を持ち、軍事力で国を守るべきだと強弁している人たちは、どこからそんなカネが湧いてくるのかまず説明すべきではないでしょうか。

(4)地理的観点から

地理的な観点から考えてみても、日本が軍隊(軍事力)で国民を守るのは至難の業です。

なぜなら、位置が悪すぎるからです。

地球儀かGoogle Map(世界地図)を見てください。世界には3つの超大国がありますが、日本はそのすべてに囲まれています。しかも隣には国家予算のほとんどを軍備につぎ込む独裁国家まで存在します。

こんな国は世界でも日本ぐらいしかありません。

そんな場所にある日本の仮想敵国はどの国でしょうか。ロシアでしょうか、中国でしょうか、北朝鮮でしょうか、それともアメリカでしょうか。

憲法9条の改正を求めている人たちがそのどれを仮想敵国と考えているのかは知りませんが、彼らの多くはロシアや中国や北朝鮮から「攻められたら(侵略されたら)どうするんだ!」と主張して憲法に軍隊を明記しろと求めていますので、彼らの言うことが正しいとすれば、ロシアや中国や北朝鮮が「攻めてくる(侵略してくる)」ということになります。

では、仮にその彼らが言うことが正しくて、ロシアや中国や北朝鮮が「攻めてきた」とした場合、地理的にどのような問題が生じるでしょうか。

たとえば、彼らが言うようにロシアが「攻めてきた」とした場合、おそらく戦場は北海道の近海あたりになるでしょう。

では仮に日本が憲法を改正して軍隊で国民を守るとして、その軍隊を北海道方面に集中できるかというとそれはできません。なぜなら、仮に彼らの言うことが正しいなら、中国や北朝鮮も「攻めてくる」可能性があるからです。

彼らの「攻めてくる」というのが正しいなら、尖閣諸島や日本海側にも兵力を展開しておかなければなりませんから、北海道方面に展開できるのはせいぜい全兵力の半分程度でしょう。

一方、ロシアは極東にほとんどの兵力を集中できます。なぜなら、仮にNATO諸国の軍隊がロシアとの国境を越えてしまえばパリやロンドンに核ミサイルを撃ち込む正当な理由をロシアに与えることになるためNATOが欧州側からロシアに「攻めてくる(侵略してくる)」ことは常識的に考えてありえないからです。

ロシアは背後を気にせずに極東に兵を集中できますから、ほとんどの兵力を北海道方面に展開させて日本を叩きに来るでしょう。

つまり、憲法9条の改正を望んでいる人たちの「攻めてくる」が正しいとすれば、日本は少なくともロシアと中国と北朝鮮の全てに同時に対処できる程度の兵力を常備しておかないと、ロシアと対等に戦争ができないわけです。

これは中国と戦争になった場合も同じです。

仮に中国と戦争になったとすれば、その戦場は尖閣諸島や沖縄周辺になると思われますが、彼らの言う「攻めてくる」が正しいのならロシアや北朝鮮も「攻めてくる」危険があるということになりますので、日本海側や北海道方面にも兵力を配置しておかなければなりません。そうなれば中国の攻撃に対抗できる兵力は実質的に全兵力の半数程度です。

一方、先ほど述べたように日本が中国と戦争になったとしても欧州諸国やアメリカが中国に「攻めてくる(侵略してくる)」可能性は常識的に考えてありませんから、中国はそのほとんどの兵力を尖閣諸島や沖縄周辺に集中できるでしょう。

中国と敵対するインドあたりが小競り合いを起こすことはあるかもしれませんが、核戦争の懸念がありますので本気で攻め込むことは、まずあり得ません。

そうなると、中国と戦争になった場合にも日本は全兵力の半分の兵力で中国と対峙しなければなりませんので、中国と互角に戦おうとするだけでも、少なくともロシアと中国と北朝鮮の全てに同時に対処できる程度の膨大な兵力を常備しておかなければならなくなってしまいます。

北朝鮮と戦争になった場合も同じです。仮に憲法改正論者の言う「攻めてくる」が正しいのであれば、ロシアや中国も「攻めてくる」危険があるということになりますので、北海道方面や沖縄方面にもロシアや中国に対処できる兵力を残しておかなければなりません。

そうであれば、ロシアと中国の全兵力と同等の兵力を残しておかなければならないということになってしまいますから、ロシアと中国を合計した兵力をはるかに上回る膨大な兵力を常備しておかなければならないということになってしまいます。

もちろんこれは、あくまでも机上の空論なので実際にそれだけの兵力が必要になるかはわかりません。しかし、少なくともロシアや中国が日本への攻撃にほとんど全兵力を集中できるという”地の利”がある反面、日本は全兵力を一方に集中させて防衛できない点で地理的に圧倒的に不利な状態にあると言えます。

つまり、日本の置かれた場所が、あまりにも悪すぎるのです。戦国時代に例えるなら、徳川上杉北条の三大国に囲まれた上田の真田昌幸が家康景勝氏直の連合軍に合戦を挑むようなものでしょう。

こうした地理的な問題を考えれば、日本が軍隊で国民を守るのは不可能と言わざるを得ないのです。

(5)核兵器の観点から

ここまでは通常の軍隊を使用する場合の問題を検証するためにあえて核兵器の存在を考慮しないで論じてきましたので、ここで核兵器の観点からも検証してみましょう。

この点、憲法9条を改正して憲法に軍隊(又は自衛隊)を明記して軍事力で国を守るべきだと考える人の中には、日本も核武装すべきだとか、日本が核武装すれば少ない防衛費用で安全保障を確保できるなどと語る人も少なからずいるようですが、日本が核武装して国民を守ることはできません。

なぜなら、仮に日本が核兵器を保有しても核戦争に勝てる見込みはないからです。

仮に中国と核ミサイルの撃ち合いになり、双方が5発ずつミサイルを撃ちあってその全てが着弾したと考えてください。

この場合、おそらく中国側は、関東に3発、大阪と名古屋にそれぞれ1発ずつ撃ち込む程度で日本を壊滅させることができます。日本は全人口の半分近くが関東に集中していますので、新宿・横浜・大宮あたりに一発ずつ撃ち込むだけで人口の大部分を削ることができるからです。

また、東京・大阪・名古屋を叩いておけば物流や情報網、重要な生活インフラを寸断させることができますから、もはや日本はそれだけで国として機能しなくなるでしょう。

一方、中国側はそう簡単にはいきません。土地が広いからです。日本側が仮に北京に3発、上海に1発、深圳シンセンに1発着弾させたとしても、中国側は南京や成都や武漢に首都機能を移せば済みますので、すぐに体制を立て直し次の5発を撃ってくるはずです。実際、かつての中国では汪兆銘や蒋介石の国民政府が広州から武漢、武漢から南京、南京から重慶へと首都機能を移転させていますから、間違いなくそうしてくるでしょう。

では、仮に日本の科学技術が中国を圧倒し、超革新的な迎撃ミサイルを開発して中国側のミサイルをすべて東シナ海や日本海上空で撃ち落とすことができた場合はどうでしょうか。

この点、仮にそうした奇跡的な技術革新でファンタジーが実現できたとしても、日本が核戦争で勝つことはありません。なぜなら、風は西から吹いてくるからです。

考えてもみてください。東アジアでは基本的に風は西から東に吹きますから、北京に核ミサイルを着弾させれば放射能を付着させた塵が舞い上がり、風に乗って北朝鮮や韓国、ウラジオストック方面に広がってしまいます。上海に落とせば東シナ海に、広州に落とせば台湾やフィリピンやベトナムにまで放射能の汚染が広がってしまうわけです。

仮にそうなれば、北朝鮮や韓国や、ウラジオストックや台湾、フィリピンやベトナムなどの農業と漁業は壊滅的な被害を受けてしまうでしょう。人の健康にも何世代にもわたって何らかの影響が出るはずです。

全面的核戦争の影響は、その戦争がどこで始まろうと、戦争当事国にだけ限定されることはないでしょう。その国自体も直接的な破壊を免がれないし、その上、すでに説明したように、直接かつ永続する致命的な放射性降下物の影響に悩まされなければならないでしょう。しかし近隣諸国やまた実際の衝突地点から離れている地域の国々でさえ、巨大な雲となって大気を移動し、爆発地点から広範囲にわたって落下する放射性降下物の危険にさらされることになります。こうして、少なくとも地球の同じ半球内では、汚染された植物から作られる食物を摂取したり、また地面に堆積した降下物によって外面から照射を受けることによって、遠くにいようが、近くにいようが人間集団は常に永続する放射能の危険にさらされることになります。危険の程度と性質はもちろん爆発する爆弾の数と型によって異なります。もし十分な数の爆弾が投下されると、世界の如何なる地域も生物学上非常に危険な水準の放射能を受けることになります。多かれ少なかれ、世界の人間集団は遺伝上の被害を蒙むるでしょう。

※出典:国際連合広報センター「核兵器の恐ろしさ もし核兵器が使われたら…」|国際連合広報センター 7~8頁より引用

そうした被害の賠償は、もちろん核ミサイルを着弾させて放射能をまき散らした日本が負担しなければなりません。戦勝国における賠償請求は現代では消極的に考えられていますが、この事例では戦争当事国ではない国に被害を及ぼすことになるため日本が賠償債務を負担しなければならないからです。

放射能の汚染は将来にわたって何世代にも受け継がれますから、その賠償額は天文学的な数字になります。その賠償金を支払う財力が今の日本と将来の国民にあるのでしょうか。

もちろん、その放射能は日本にも影響します。中国に核ミサイルを着弾させれば、そこでまき散らされた放射能は塵に付着して舞い上がり、西から吹く風に流されて東シナ海や日本海に広がるでしょう。そうなれば西日本の漁業は壊滅します。

春になれば黄砂に乗って放射能の付着した塵や砂が全国に降り注ぎますから、西日本だけでなく中部や北陸、関東地方の農業も壊滅的な打撃を被るでしょう。もちろん人間の健康にも影響が生じるはずです。

この点、国内であれば政府が大本営発表で「放射能の心配はない」と強弁し報道を押さえつければ農家や漁師、国民に賠償しなくても済みますが、国民が健康被害から逃れることはできませんので、否応なしにその放射能で汚染された体で放射能で汚染されたコメや野菜や肉や魚を食べ続けなければならなくなってしまいます。

そうなれば日本は病人だらけです。そんな国が、韓国や北朝鮮やロシアや台湾やフィリピンやベトナムなどから請求される莫大な賠償金を支払って、中国からの反撃に備えることができるのでしょうか。

これは中国との核戦争だけでなく、ロシアや北朝鮮との間でも同じです。

チェルノブイリ原発事故の際は、東欧や中央アジアの農産物や牧畜にも放射能汚染が出たとの報道もありましたから、仮にモスクワに落とせば東欧や中央アジア諸国の農業や牧畜に大きな被害を及ぼすことになりますし、ウラジオストックや北朝鮮に落とせば北陸や東北や北海道の漁業や農業、酪農は壊滅してしまうでしょう。

つまり、日本が仮に核武装したとしても、その装備した核ミサイルを撃てる場所がないわけです。

アメリカやオーストラリアと戦争するのであれば核ミサイルも使えるでしょうが、憲法9条の改正を求めている人たちが「攻めてくる(侵略してくる)」と吹聴しているロシアや中国や北朝鮮に対しては、常識的に考えて使う場所がないのです。

「核兵器は実際に使うわけじゃなくて抑止力として必要なんだ」と考える人もいるかもしれませんが、使いたくても使えない武器は抑止力にはなりません。刀は実際に抜けるから抑止力になるのであって、柄袋をかぶせたままの侍など何の脅威も与えないでしょう。

このように、日本の国土の狭さや地理的事情を考えれば、たとえ日本が核兵器を持ったとしても使うことができませんのでまったく意味がありません。

もちろん、仮に日本が核武装すれば、日本がロシアや中国や北朝鮮と核ミサイルの撃ち合いをしてくれるのでアメリカにとっては意味があります。ハワイやグアムより仮想敵国の首都に近い日本を核ミサイルの発射台にできるアメリカにとって日本の核武装は好都合でしょう。

つまるところ、日本が核武装して守ることができるのはアメリカの国土と国民だけなのです。

なお、最後に一つだけ言っておきますが、そもそも私は核武装すべきだと主張する人がこの日本にいること自体、不思議でなりません。

核兵器が何を引き起こすかは、広島や長崎の原爆資料館に展示されている資料や被爆者の体験談を聞けば理解できるはずです。もちろん、そこで得られる情報は実際に起きたことのわずかな部分でしかありませんが、それでも何があったかぐらいは想像できるでしょう。

にもかかわらず、なぜあの地獄を繰り返すことを望む人がこの日本から出てしまうのか、私にはわかりません。

仮に広島や長崎の資料館に足を運んだこともなく、被爆者から生の体験談を聞くこともなく核武装すべきだなどと強弁しているのであれば、それは人の命に対する冒涜ではないでしょうか。

ネット上での核兵器を容認する議論の広がりには、強い憤りを覚えます。

(6)集団的自衛権の観点から

ここまでは、日本だけで軍事力を行使するいわゆる個別的自衛権の観点から検証してきましたが、他国と共同で軍事力を行使するいわゆる集団的自衛権の観点からも考えてみましょう。

この点、結論から言えば、集団的自衛権の観点から考えても日本が軍事力で国民を守るのは困難です。

なぜなら、集団的自衛権の行使は、日本にとってデメリットしかないからです。

集団的自衛権についてはよく理解していない人が多いようなので簡単に説明しておきますが、集団的自衛権の本質は「自衛」ではなく「他衛」です。具体的に説明するなら、たとえばアメリカとイランが戦争状態になったような場合に、イランが日本に対して何ら敵対行動をとっていないにもかかわらず、日米安保条約を理由に日本のイージス艦がイランの戦闘機を撃墜するような行為が集団的自衛権の行使です。

逆に考えれば、ロシアや中国が日本と軍事的に衝突した際に、アメリカが日米安保条約を理由にロシアや中国の戦闘機を撃墜するような行為が集団的自衛権の行使です。

この点、集団的自衛権のメリットは、集団的自衛権を行使してもらう側と行使する側でその性質が異なります。

集団的自衛権を行使してもらう側のメリットは、自国の戦争を他国に助けてもらえる点です。自国が戦争になった場合に同盟国が集団的自衛権を行使してくれるなら、その同盟国の軍隊が自国の軍事力を補完してくれるので軍事的なメリットが生じると言えます。

他方、集団的自衛権を行使する側のメリットは、他国で戦争できる点です。

近代戦は総力戦であって軍隊の質や規模だけでなく経済力や科学技術力など様々な要素を合わせた総合的な国力の差で勝敗が決まりますから、自国の工場や経済が損失を受けないように「自国の外」で戦うのがセオリーです。つまり「ケンカは外でやる」のが近代戦の鉄則となるわけです。

たとえば、A国が対立しているB国と戦争したいと思ってもB国と戦争になればA国が戦場となることでA国の経済活動に影響が生じる危険があります。しかしA国とB国の間にあるC国と集団的自衛権を享有する条約を結べば、A国はB国と戦争する際にC国を戦場にすることができますからA国の工業や経済に打撃を受けずに戦争を続けることができます。これが集団的自衛権を行使する側のメリットです。

ちなみに少し話が飛びますが、明治新政府が朝鮮半島を侵略し満州に兵を進めた理由の一つは「ケンカは外でやる」必要があるからです。当時の日本は欧米列強と帝国主義で対抗する道を選択し大陸への侵略を企図しましたが、極東で勢力を争う帝政ロシアと戦うにしても近代戦は総力戦ですから日本の本土を戦場にすることはできません。しかし朝鮮半島や満州まで兵を進めれば、日本の外で戦争することができます。そのため明治新政府は朝鮮半島を侵略して清国と戦争したり、満州を巡ってロシアと戦争したりしたわけです。

  • 集団的自衛権を行使してもらう側のメリット……自国の軍隊を助けてもらえる
  • 集団的自衛権を行使する側のメリット……自国の外(他国)で戦争ができる

こうした集団的自衛権の本質を理解したうえで、日本が集団的自衛権を行使して軍事力で国民を守る場合の問題点を考えてみましょう。

この点、憲法9条の改正を求めている人の多くはロシアや中国や北朝鮮が「攻めてきたら(侵略してきたら)どうするんだ!」と主張して軍隊の明記と自衛のための戦争を正当化していますから、仮に彼らの言うことが正しいとすれば、ロシアや中国や北朝鮮が「攻めてくる(侵略してくる)」ということになります。

では、仮にそれが正しくてそれらの国と戦争になるとして戦場はどこでしょうか。先ほども少し触れたように、その場合の戦場は日本海や東シナ海、尖閣諸島や北海道の近海あるいは日本の領土です。この場合、日米安保条約の集団的自衛権に基づいてアメリカ軍が助けてくれるでしょうが、日本は日本の領土とその近海で戦争しなければならないわけです。

この点「アメリカがモスクワや北京やピョンヤンを攻撃してくれるだろう」と思う人もいるかもしれませんが、そんなことをしたらアメリカが全面戦争の主体になってしまうので戦場はあくまでも日本の周辺に限られます。

これはもちろん、アメリカがそれらの国と戦争する場合も同じです。アメリカがロシアや中国や北朝鮮と戦争になれば、日本は安保条約の集団的自衛権に基づいてその戦争に参戦しなければなりません。そしてその場合の戦場も、日本の領土とその近海になるわけです。

こうして考えてみると、アメリカとの間の集団的自衛権にメリットがないのが分かります。なぜなら、日本は日本の領土と領海を戦場としてアメリカに提供しなければならなくなるからです。

集団的自衛権を行使してもらう側のメリットとして「アメリカ軍に助けてもらえるメリットがあるじゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、アメリカ軍が助けてくれるにしてもその戦場はあくまでも日本です。

日本がカナダやメキシコと敵対していて、アメリカと共にカナダやメキシコと戦争するならアメリカを戦場にできるので日本にもメリットはありますが、ロシアや中国や北朝鮮と戦争するためにアメリカと軍事同盟を結んで集団的自衛権を行使しても、日本を戦場にしなければならないのでメリットなどありません。

つまり、日本がアメリカと日米安保条約を結んで集団的自衛権を行使する意味は「アメリカに代理戦争の場を提供する」という点に集約されるわけです。

先日(2021年9月)、イギリス海軍の空母が横須賀に寄港したとのニュースに喜んでいた人がいましたが、仮に日本がイギリスと軍事同盟を結ぶなら、イギリスに対しても中国との戦争における「代理戦争の場」として日本を提供しなければならなくなることを彼らはわかっているのでしょうか。

イギリスと集団的自衛権を享有すれば、日本はイギリスの戦争のために日本の領土と領海を差し出さなければなりません。イギリスと中国との戦争で矢面に立たされるのは憲法改正後に創設される日本軍の兵士や日本の国民なのに、イギリス軍の空母に喜んでいた人たちはおそらくそれに気づいていないのです。

しかも、仮に集団的自衛権に基づいてアメリカや欧州諸国が軍隊を派遣してくれるとしても、そのメリットはあくまでも一時的なものに過ぎません。

アメリカや欧州は民主主義国家ですから議会や有権者の支持を得られなければ政権がもちませんので頃合いを見計らっていずれ必ず軍を撤退させるでしょう。これはベトナム戦争で南ベトナムを見捨てて撤退した事実から明らかですし、アフガニスタンやシリアから自国の軍隊を撤退させてタリバンの弾圧や内戦を放置している今の状況を見ても明らかです。

仮に日本においてそうした事態が生じれば、梯子を外された日本は単独でロシアや中国や北朝鮮と戦わなければならないのですから、集団的自衛権を行使してもらう側のメリットなどあてにできるものではないのです。

こうして考えると、アメリカとの集団的自衛権の享有に何のメリットもないのが分かります。むしろ日本の領土と領海を戦場にして破壊される分、デメリットしか生じないのです。

こうした話をすると「同じ島国のイギリスだって欧州やアメリカと軍事同盟を結んで集団的自衛権を享有しているじゃないか」と言う人が必ず出てきますが、イギリスとは地理的な条件が違います。

イギリスの仮想敵国はドーバー海峡を挟んだフランスやドイツではありません。欧州をまたいだロシアであって、欧州をまたいだイスラムのテロ勢力、あるいは遠くはなれた中国でしょう。同じ島国でもイギリスは、集団的自衛権を行使すれば自国ではなく他国の領土で戦争をすることが可能です。

日本とは地理的な条件が違うのです。

以上のように、集団的自衛権の観点から考えても日本が軍事力で国民を守るのは至難の業です。

仮に軍事力で国民を守るとすれば、日本が軍事同盟を結ぶ国のために日本の領土と領海を「代理戦争の場」として提供することが前提です。

しかしそれは、朝鮮戦争における朝鮮半島や、ベトナム戦争におけるベトナムや今のシリアのように、米欧を中心とした自由主義・民主主義勢力と、露中を中心とした反民主主義勢力との間で繰り返される争いの「代理戦争の場」として日本の領土と領海と、そして日本の軍隊と国民を提供するということに他なりませんから、その点を十分に理解することが必要でしょう。

(7)気候変動問題の観点から

最後に、気候変動問題の観点から軍事力で国民を守ることができない点を述べておきます。

気候変動問題は全世界共通の喫緊の課題となっていますが、この問題に貧困問題が大きく関係していることは周知の事実だと思います。

温室効果ガスの排出と森林伐採は温暖化の主な要因とされていますが、これらの問題を解決するためには先進国がCO2の削減に努力するだけでなく、途上国への技術支援であったり、途上国の人が熱帯雨林を伐採しなくても生活が成り立つような生活支援や産業支援を積極的に行っていかなければなりません。

そうであれば、戦車や戦闘機などに予算を使っている場合ではありません。そんなカネがあるのなら、再生可能エネルギーの研究・開発やその世界への普及、途上国への経済支援や技術協力などに回さなければならないからです。

今の世界は、軍事力に無駄ガネを使っているほど余裕のある状態ではなく、その軍事力に注いできた莫大なカネを気候変動問題への対処に回さなければならない時期に来ているのです。

これを無視して今までどおり軍拡を続けるなら、温室効果ガスの排出と森林減少は歯止めがかからなくなり、この地球には人が住めなくなってしまうでしょう。

仮にそうなってしまえば、どれだけ強力な軍隊があっても国民を守ることなどできないわけですから、戦車や戦闘機を買うカネを、気候変動問題の対処に使うべきなのです。

今の国際社会は、自国のことのみに専念して他国を無視してよい状態ではありません。政治思想に関係なく総ての国が中立的な立場を維持して諸外国と信頼関係を築く中で平和構想の提示や紛争解決のための助言や提言、貧困解消のための援助など外交努力を積極的に行うことで気候変動問題に対処し、世界の国民の平和と安全保障を実現すべき時に来ているのではないでしょうか。

日本が軍隊(軍事力)で国を守ることができる2つの方法

以上で長々と論じてきたように、日本の置かれた状況を踏まえれば軍事力で国民を守ることは極めて困難であって、それが不可能であることは歴史的事実としても証明されています。

憲法9条の改正を望む人たちは、憲法に自衛隊や軍隊を明記し自衛のための戦争ができるようにすれば強力な軍事力によって国民を守ることができるのだと妄信しているようですが、日本が軍事力で国民の安全保障を確保するなどファンタジーだと言ってよいでしょう。

もっとも、このように日本が軍事力で「国民」を守ることは不可能ですが、日本が軍事力で「国」を守る道が残されていないわけではありません。私が思うに、その道は2つだけあります。

一つは、憲法9条を改正しないまま、憲法の基本原理である平和主義と第9条を守らないで、軍事力で国を守る方法です。この方法は、憲法9条2項がその所持を禁止している事実上の軍隊である自衛隊をそのまま維持するだけでかまいません。

この方法をとる場合、莫大な予算を支出してアメリカからポンコツミサイルやぼったくり戦闘機を爆買いし続けなければなりませんし、沖縄をはじめとした日本の領土を割譲してアメリカ軍に軍事基地として提供し続けなければなりません。またアメリカ軍に駐留してもらうために莫大な金額の「思いやり予算」をアメリカに献上し続けなければなりませんし、アメリカが日本の周辺諸国と戦争を始めた時には日本の領土と領海を「代理戦争の場」として提供しなければなりません。

もちろん、安保条約に基づいて集団的自衛権も行使しなければなりませんから、日本における事実上の軍隊である自衛隊の隊員と国民は、その命と財産もその「代理戦争」の為に捧げなければなりません。その覚悟は必要です。この方法をとれば日本を代理戦争の場として差し出すことで国土と人心は荒廃しますが、憲法9条を改正することなく事実上の軍隊で国を守ることができるでしょう。

つまり、戦後の日本政府が続けてきたように「憲法の平和主義があるのに平和主義を守らない」で「憲法9条があるのに憲法9条を守らない」で、アメリカの属国となる道です。すなわち現状維持です。

もう一つは、憲法を自民党が公開している憲法改正草案のまま改正して、戦前の日本のような国になる道です。

自民党憲法改正草案は国民の基本的人権を著しく制限し、一党独裁的な国家にすることも認めていますから、仮に自民党憲法改正草案が国民投票を通過すれば、大政翼賛会と軍部が政治を専横した戦時中の日本のような全体主義国家にすることも可能でしょう(※自民党憲法改正草案の内容の詳細は→『憲法道程』の『【私見】自民党憲法改正草案の問題点|憲法道程』のカテゴリーに掲載した記事で解説しています)。

仮にそうなれば、日本は自民党を中心とした翼賛体制のもとで、戦時中のように国民を自由に弾圧することができますから、野党やメディアからの批判を押さえつけることで、アメリカの手先となってアメリカ軍の戦争に加担したり、アメリカに言われるままに農産物を輸入して、日本国民の資産をアメリカに献上することもできるようになるでしょう。

もちろん、この場合も日本の領土と領海をアメリカに「代理戦争の場」として提供しなければなりませんから、ひとたびアメリカが中国やロシア、北朝鮮などと戦争になった時には、日本の領土と領海と憲法改正後にできる国防軍と国民をその「代理戦争の場」に提供してアメリカの手下となってそれらの国と戦わなければなりませんので、その覚悟は必要でしょう。

つまり、憲法を改正し、アメリカに隷従してアメリカの植民地となって軍事力で国を守る道です。

  • 憲法9条を改正しないで憲法の平和主義と9条を真摯に守って外交努力で国民を守る道(※国民を守るにはこの方法しかない)
  • 憲法9条を改正し軍隊を憲法に明記して軍事力で国民を守る道(※このページで説明してきたように事実上不可能)
  • 憲法9条を改正しないで憲法の平和主義と9条を守らないで軍事力で国を守る道(※現状のままアメリカの属国を続ける)
  • 憲法を自民党改正案のまま改正して戦時中の日本のような国になって軍事力で国を守る道(※自民党を中心とした翼賛体制の下でアメリカの植民地になる)

このページで説明してきたとおり、軍事力で「国民」を守ることは事実上不可能なのですから、憲法の平和主義と9条を真摯に実践して外交努力で戦争を回避するのが嫌だと言うのであれば、その2つの道のどちらか一方を選ぶほかありません。

どちらの道を選ぶかは主権者である国民が決めることですから、十分に話し合ってアメリカの属国を続けるか、それともアメリカの植民地になるか決めればよいのです。

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