「外交には軍事力による裏付けが必要」との憲法9条批判の検証

憲法の基本原理である平和主義と第9条は、自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄して軍事力の保有とその行使の一切を否定していますから、憲法の平和主義と9条の下で国民の安全保障を確保するためには諸外国と信頼関係を築き、紛争を未然に防ぐことが不可欠となりますので外交努力は欠かせません。

しかし、こうした憲法の平和主義と9条の理念に対しては、憲法9条を改正して軍隊を明記し軍事力で国を守るべきだと考える人たちから「外交には軍事力による裏付けが必要だ」などと批判する意見も聞かれます。

たとえば、私がYouTubeで公開している動画にも次のようなコメントが付けられていますので、そうした意見を持つ人は少なからず存在しているのでしょう(※ただしこのコメントが付けられた動画はそもそも「話し合い(で対立を解消すべき)」という趣旨の内容ではないのでコメント自体が動画の趣旨とズレていることは付言しておきます)。

※大浦崑がYouTubeに公開している『ウクライナ人留学生の憲法9条改正議論がまったく相手にされない理由』の動画に付けられたコメント

こうした主張を展開する人は、対立する他国と対等か、もしくはそれを圧倒する軍事力を持たなければ対等な交渉ができないと妄信していますから、対等な外交関係を築くためにも強力な軍事力の維持が必要だと主張しているわけです。

では、こうした「外交には軍事力による裏付けが必要だ」などと憲法9条を批判するステレオタイプな意見は妥当な意見だと言えるのでしょうか、検討してみましょう。

「外交には軍事力の裏付けが必要」と憲法9条を批判する意見の検証

このように、憲法9条を改正し自衛隊や軍隊を明記し軍事力で国を守るべきだと主張する人たちが憲法改正を正当化するために用いるステレオタイプな批判の一つに「外交には軍事力による裏付けが必要だ」というものがあるわけですが、結論から言えばこうした批判は根拠がないと言えます。

なぜなら、過去の歴史を振り返ってみても、軍事力を背景にした「裏付け」がなければ対等な外交交渉ができないとの経験則は必ずしも導かれるものではありませんし、仮に「外交には軍事力による裏付けが必要」と考えたとしても、日本が諸外国と対等か、あるいは他国を圧倒する軍事力を維持することは常識的に考えて実現不可能だからです。

(1)外交に「軍事力による裏付け」が利かないことは歴史的にも明らか

まず、憲法9条を批判する人は「外交には軍事力による裏付けが必要だ」と言いますが、強力な「軍事力による裏付け」が外交交渉において効果がないことは過去の事実から明らかです。

たとえば、2003年から始められたイラク戦争は、アメリカやイギリスなどの強力な「軍事力による裏付け」がイラクのフセイン大統領との外交に全く利かなかったからこそ始められた戦争だったと言えますので、「軍事力による裏付け」が必ずしも外交に有利に作用しなかったばかりか、かえってその「軍事力による裏付け」が戦争を招いてしまった証左と言えます。

2001年にアメリカで起きたいわゆる「911」の同時多発テロも、事件を主導したアルカイダに対してはアメリカの圧倒的な「軍事力による裏付け」がまったく機能しなかった結果と言えるのではないでしょうか。

こうした事実は、過去の日本の歴史からも確認できます。たとえば日中戦争は当時の大日本帝国が有していた圧倒的な「軍事力による裏付け」が、貧弱な装備しか持たなかった当時の中国(南京の国民政府)に全く利かなかったことの証左と言えますし、太平洋戦争も当時から圧倒的だったアメリカの「軍事力による裏付け(※正確には強大な軍事力を維持できる圧倒的な国力の裏付け)」が、アメリカには軍事的に及ばないことを自覚していた当時の日本政府に対する外交に結果的には利かなかったことの証左と言えるでしょう。

これ以外にも、たとえば2017年には北朝鮮を旅行中に逮捕された米国人の大学生が意識不明で送還されて死亡した事件(※オットー・ワームビア事件|Wikipedia)がありましたが、これなどもアメリカの強力な「軍事力による裏付け」が、拘束された大学生の解放交渉に全く利かなかったことを証明しています。

中東では、圧倒的な軍事力で侵略を続けるイスラエルに対してパレスチナ側が抵抗を続けていますが、これなどもイスラエルの「軍事力による裏付け」が、侵略に抵抗するパレスチナに対しては全く利かないことの証左でしょう。

台湾を巡っては、自国に組み入れようとする中国側と台湾を支援するアメリカやイギリスを中心とした西側諸国との間で軍事的な緊張関係が続いていますが、これなども「軍事力による裏付け」が国際社会における紛争解決に全く機能していないことを如実に物語っている事例と言えます。

このように、過去の事実や現在の国際社会における外交交渉を確認しても、「軍事力による裏付け」が対等な外交関係を担保したり、国際外交で有利に機能した事例を見つけることは困難です。

それどころか、その「軍事力による裏付け」がかえって対立を引き起こし、戦争を招いてきた事実をまざまざと見せつけられてしまいます。

また、冒頭に挙げたコメントは

武力を持たない弱小国がなにをほざいたところで「黙れザコ」で一蹴されて終わり。

と述べていますが、帝国主義が謳歌されていた第一次世界大戦以前ならまだしも、今の時代に国際会議において軍事力を背景に自国の主張を押し通そうする国があるのかという点も疑問です。

たとえばTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の締結国は、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、米国及びベトナムの合計12か国となっているそうですが(環太平洋パートナーシップ(TPP)協定交渉|外務省)、この中で圧倒的な軍事力を持つ米国が、軍事力を裏付けに他の締結国を脅して自国に有利な条件を押し付けたとの報道は私の記憶が間違いでなければなかったはずです。

しかも、仮に

武力を持たない弱小国がなにをほざいたところで「黙れザコ」で一蹴されて終わり。

という理屈が正しいのであれば、このTPP加盟国の中で最も軍事力が脆弱と思われるブルネイあたりが一方的に不利な関税を掛けられているということになりますが、TPPがそうした不平等条約になっているとの報道も聞かれません。

そうであれば、今の国際社会では、たとえ「武力を持たない弱小国がなにをほざいた」としても「黙れザコ」と切り捨てられることなく、他国と対等に発言権を認められ平等な交渉ができていると言えるはずです。

この点、国連では圧倒的な軍事力を持つ米国やロシアや中国がたびたび拒否権を行使して自国の主張を通そうとする場面を目にしますが、それは「軍事力の裏付け」によって自国の主張を通そうとしているわけではなく、単に国連の常任理事国で拒否権を持つという「特権的地位」によって自国の主張を通そうとしているにすぎませんから、武力を持つか持たないか、あるいは軍事的に強国か弱小国かは関係がありません。たとえ拒否権を持つ国が軍隊を放棄したとしても常任理事国の特権的地位にある限り拒否権を振りかざして自国の主張を押し通そうとするはずだからです。

そうであれば

武力を持たない弱小国がなにをほざいたところで「黙れザコ」で一蹴されて終わり。

とは言えないでしょう。

さらに言えば、そもそも

武力を持たない弱小国がなにをほざいたところで「黙れザコ」で一蹴されて終わり。

という理屈は帝国主義の発想そのものなのですから、その理屈が正しいと考えること自体、帝国主義思想を肯定していることになります。

しかし帝国主義は、ドイツ帝国やオーストリア帝国、オスマントルコ帝国やロシア帝国が第一次世界大戦で滅び、大日本帝国が先の戦争で滅んでいったことからわかるように、現代社会ではすでに失敗が証明されている思想です。

帝国主義が国際社会で通用しないことに気が付いたからこそ過去に帝国だった国々は帝国主義を捨てて今の国家体制を選択しているわけですから、そもそもいまどき帝国主義を肯定すること自体、時代遅れとも言えます。

こうした事実を顧みれば、「外交には軍事力による裏付けが必要だ」との主張に根拠がないのが分かってもらえるのではないでしょうか。

(2)日本に「軍事力による裏付け」を維持できるほどの国力はない

このように、憲法9条に対する「外交には軍事力による裏付けが必要だ」などという批判は実際の外交交渉の過程を振り返れば根拠がないことは明らかですが、憲法9条の改正を望む人は軍隊がないと国を守れないと妄信していますので、そうした正論では納得しないかもしれません。

では、仮に「外交には軍事力による裏付けが必要だ」との考えに従って日本が軍事力を強化した場合、日本は対立する諸外国との問題を外交で解決できる「軍事力による裏付け」を維持することができるでしょうか。

この点、現在の日本は、北方領土の問題でロシアと、尖閣諸島の問題で中国と、拉致問題で北朝鮮と対立していますから、これらの国との外交交渉を「軍事力による裏付け」によってまとめるためには、これらの国と対等かあるいはこれらの国を圧倒する軍事力を保持しなければなりません。

つまり、「外交には軍事力による裏付けが必要だ」との主張を具現化するのであれば、ロシアと中国と北朝鮮をまとめて相手にできる軍事力を維持し続けなければならないわけです。

「ロシアと中国と北朝鮮が一気に攻めてくるわけじゃないからまとめて相手にできる軍事力までは要らない」と言う人もいるかもしれませんが、ロシア・中国・北朝鮮のうちのどれか一国と戦争になった場合に日本側の全兵力を投入してしまったら他の2国との外交交渉を有利に進める「軍事力による裏付け」がなくなってしまいますので、「外交には軍事力による裏付けが必要だ」という主張が正しいという前提に立つ限り、結局はロシアと中国と北朝鮮を合計した戦力と対峙できる圧倒的な軍事力を維持しなければならないということになってしまいます。

ですがもちろん、常識的に考えてそんなことは不可能です。

日本が軍隊で国を守れない(戦争に勝てない)7つの理由』のページでも論じましたが、過去の歴史的事実や日本の置かれた地理的条件、日本の経済力や財政力など、どの点から考えても日本がこの三国を圧倒するどころかそのうち一国との戦争に勝つ軍事力でさえ維持することができないからです。

そもそも、強大な軍事力を持つ世界最強の今のアメリカでさえ、ロシアや中国や北朝鮮との外交交渉を有利に進めることのできるような「軍事力による裏付け」を得ていないのですから、アメリカや中国の足元にも及ばない国力の日本が「軍事力による裏付け」を得られるほどの軍事力を維持することができるわけがないのです。

こうした点を考えてみても「外交には軍事力による裏付けが必要だ」との主張に根拠がないのは明らかと言えます。

(3)「外交には軍事力による裏付けが必要」なら永遠にアメリカの属国

また、仮に「外交には軍事力による裏付けが必要だ」というのが正しいなら、アメリカとの外交関係でいつまでたっても事実上の属国状態から抜け出せないのも問題です。

現在の日本は、沖縄をはじめとした全国で「在日米軍基地」との名目でアメリカに貴重な国土を占領されているうえ、航空機の飛行区域も米軍優先で大きく規制されており、米軍駐留経費を負担するいわゆる「思いやり予算」も莫大な金額に上っていることが問題として常々報道されています。

また、在日米軍の犯罪も、第一次裁判権が日本側に留保されてはいるものの、日米地位協定第17条3項で「公務執行中の作為又は不作為から生ずる罪」について日本の裁判権が外されており、その「公務中」か否かを判断するのが米軍であることから事実上の治外法権が認められている状態が続いています(※日米地位協定|外務省)。

もちろん、これらは在日米軍に関する様々な問題の一例に過ぎず、沖縄を中心として航空機からの部品落下や基地からの汚染物質の流出など、日本国民の生命と財産を脅かす問題が毎日のように起こされているのが現状です。

こうした事実は、沖縄返還から50年が経過した今でも、日本がアメリカによって軍事的に占領されたままの状態にあることを如実に物語っています。

つまり日本は事実上、アメリカの属国状態になっているわけです。

このアメリカの属国状態に置かれた事実は、毎年のように莫大な防衛予算を支出してアメリカ製のポンコツ兵器を爆買いさせられていることから見ても否定する人はいないでしょう。

ところで、仮に「外交には軍事力による裏付けが必要だ」という主張が正しいとすれば、日本がこのアメリカの属国状態から解放されるためには、アメリカと同等かあるいはアメリカを圧倒する軍事力を手に入れなければならないことになってしまいます。

「外交には軍事力による裏付けが必要だ」が正しいなら、アメリカと同等かあるいはアメリカを圧倒できる軍事力がないと、アメリカと対等な外交交渉で米軍の行動を規制したり、米軍への「思いやり予算」を廃止したり、米軍による事実上の治外法権を改めさせることができないからです。

しかし日本がアメリカと対等か、あるいはアメリカを圧倒する軍事力を手に入れるなど不可能です。

この点は『日本が軍隊で国を守れない(戦争に勝てない)7つの理由』のページでも論じましたが、太平洋戦争当時の日本は国家予算の90%近くを軍事費に充ててもアメリカに勝てなかったのですから、これから少子化に向かう日本が、国力でアメリカを上回り、アメリカと同等かそれ以上の軍事力を手に入れるなどできるわけがないでしょう。

そもそも、アメリカ製の戦闘機やミサイルを爆買いして喜んでいる日本が、科学技術力で世界をリードするアメリカを追い抜いて、経済でも追い抜いて、国力で肩を並べるなどファンタジーなのです。

そうであれば、「外交には軍事力による裏付けが必要だ」などという主張が通らないのは分かるはずです。

仮に「外交には軍事力による裏付けが必要だ」という理屈が正しいのなら、日本は永遠にアメリカの属国の地位から抜け出せなくなってしまうからです。

それとも、「外交には軍事力による裏付けが必要だ」 などと強弁している人たちは日本がアメリカの属国状態のままにあることを望んでいるのでしょうか。そうでなければ、日本がその属国状態にあることで利益を得ているか、日本がアメリカの属国状態にあることに気づいていない平和ボケなのかのどちらかでしょう。

こんな理屈を正しいと妄信して国政を運営していくのなら、日本はいつまでたってもアメリカの属国状態から抜け出せません。

「外交には軍事力による裏付けが必要だ」などと主張している人たちは、その矛盾に気づくべきなのです。

外交に軍事力による裏付けなど必要ない

以上で説明してきたように、「外交には軍事力による裏付けが必要だ」との主張は根拠がありませんから、そうした理屈を前提とした主張は、軍事力と戦争を否定する憲法9条に対する批判としては成り立ちません。

「外交には軍事力による裏付けが必要だ」などと強弁して憲法9条の改正を正当化している人たちは、古ぼけた帝国主義思想を捨てたうえで、頭の中を整理し直した方が良いのではないでしょうか。

成り立たない理屈をいくら重ねても、憲法9条に関する議論は何も進みません。憲法9条を改正して軍隊を明記し軍事力で国を守るべきだと考えるなら、筋の通る理屈で生産性のある議論をすべきだと思うのです。

コメント

  1. 穢土 より:

    「軍事力があれば確実に相手を引き下がらせることができる、なければできない」という命題の否定にはなっていますが「よって日本の軍拡と憲法改正は不要である」ことの証明にはなっていないと思います、

    ハト派の多くには「日本の国力では有事に“勝てるだけ”の軍備は用意できない、よって軍拡は不要」という前提があるようですが、「確実ではないにせよ、相手が想定しなければならない損害が増えるほど相手の武力行使を“抑止できる確率”が高まる」という認識が国防戦略の基礎なのでその点を否定できなければタカ派を納得させることは不可能でしょう

    「うまく抑止が働かなかった例のほうが多い」というのも「抑止が働いた(侵攻準備すらなくその前段階で指導者が思いとどまる)場合、その意思決定は“表に出てくることがない”」のでそう見えているだけなのではないのですか
    「中国史において中原王朝は何度も遊牧民勢力の侵攻を許した、よって中原の軍は無力である」とでも主張するのと同じ詭弁に感じます

    なにより、護憲派の論全般において「では、なぜ日本以外の大国は核兵器まで含めて“帝国主義思想ではなければ無駄なはずの”軍備を怠ることがないのですか、理想の水準まで足りないからといって、諦めて努力を放棄するなどという選択がありえますか」という点への満足な答えがあった試しがないのですが

    「軍産複合体の利益のための陰謀」とでもおっしゃいますか?

    • 大浦崑 より:

      コメントありがとうございます。

      全体的に何をおっしゃりたいのか分かりにくい文章なのでコメントする気力も湧きませんが、分かる範囲で段落ごとにお答えします。

      【1】コメントの第一段落目について

      コメントの第一段落は

      「軍事力があれば確実に相手を引き下がらせることができる、なければできない」という命題の否定にはなっていますが「よって日本の軍拡と憲法改正は不要である」ことの証明にはなっていないと思います、

      というご主張ですが、私はこの記事の中で「”外交には軍事力の裏付けが必要”と憲法9条を批判する意見には根拠がない」という趣旨のことを論じたのであって、「「軍事力があれば確実に相手を引き下がらせることができる、なければできない」という命題の否定」や、「「日本の軍拡と憲法改正は不要である」ことの証明」をしようとしたわけではありません。

      私が述べた(述べようとした)わけでもないことを、あたかも述べた(述べようとした)かのように歪めて引用し自説を展開するのは、相手の主張を歪めて引用し、その歪められた主張に反論する論法で「ストローマン論法(わら人形論法)」です。

      「ストローマン論法(わら人形論法)」は詭弁の一種ですが、詭弁に付き合う暇はないのでこういうコメントを残すのは止めていただきたいと思います。

      【2】コメントの第二段落目について

      コメントの第二段落は

      ハト派の多くには「日本の国力では有事に“勝てるだけ”の軍備は用意できない、よって軍拡は不要」という前提があるようですが、「確実ではないにせよ、相手が想定しなければならない損害が増えるほど相手の武力行使を“抑止できる確率”が高まる」という認識が国防戦略の基礎なのでその点を否定できなければタカ派を納得させることは不可能でしょう

      「うまく抑止が働かなかった例のほうが多い」というのも「抑止が働いた(侵攻準備すらなくその前段階で指導者が思いとどまる)場合、その意思決定は“表に出てくることがない”」のでそう見えているだけなのではないのですか
      「中国史において中原王朝は何度も遊牧民勢力の侵攻を許した、よって中原の軍は無力である」とでも主張するのと同じ詭弁に感じます

      というものですが、まず、私がこの記事の中で述べたのは、外交に「軍事力による裏付け」は効果がないとか(※記事中の(1))、日本が中国やロシアや北朝鮮やアメリカとの外交交渉を有利に進めるような「軍事力による裏付け」を得ることはできない(※記事中の(2)(3))、という趣旨の話であって、「「日本の国力では有事に“勝てるだけ”の軍備は用意できない、よって軍拡は不要」という前提」で論じているのではありません。そもそも「軍拡」の話などしていないはずですが…。

      これも前述したように「ストローマン論法(わら人形論法)」でしょう。

      また、

      「うまく抑止が働かなかった例のほうが多い」というのも…

      とあり、おそらくこれはこの記事の(1)の部分を指しているのだと思いますが、(1)の部分では「軍事力による裏付け」は外交には利かないという趣旨のことを述べています。

      (軍事力による)「抑止が働かなかった例のほうが多い」などと述べているのではなくて「軍事力による裏付け」が「(外交交渉に)利かない」と述べているのですからこれも述べていないことを述べたと歪めて引用する「ストローマン論法(わら人形論法)」でしょう。

      次に

      「確実ではないにせよ、相手が想定しなければならない損害が増えるほど相手の武力行使を“抑止できる確率”が高まる」という認識が国防戦略の基礎なので…

      とありますが、そういう「認識」が「国防戦略の基礎」だという話は初めて聞いたので答えるのが難しいですけれども、仮にその「認識」が正しいとして、この記事の中で論じた「外交には軍事力による裏付けが必要」という主張が正しいという前提に立った場合、日本と中国などの超大国の間で考えれば「相手が想定しなければならない損害が増えるほど相手の武力行使を”抑止できる確率”が高まる」のは中国などの超大国の側になるので、日本が外交に用いるための「軍事力による裏付け」を得ることが出来なくなってしまうのではないでしょうか。

      正直言って、この部分は何をおっしゃりたいのかわかりません。

      また、この部分に続く

      …その点を否定できなければタカ派を納得させることは不可能でしょう

      の部分の「タカ派」はおそらく憲法9条を改正して軍隊を持つべきだと主張している人たちのことを指しているのだと思いますが、そもそも私はこの記事の中でその人たちのことを「納得」させようとしているわけではなく、「外交には軍事力による裏付けが必要」という主張に根拠がないという自分の主張を提示しているだけにすぎません。

      私がこのサイトや”憲法道程”のサイト、またYouTubeのチャンネルなどで憲法9条関連の主張を公開しているのは、憲法9条改正論者を「納得」させてその考えを改めさせるためではなくて、9条の改正議論の中において、憲法の平和主義の基本原理や9条が要請していないことをあたかもそれを要請しているかのようにストローマン論法(わら人形論法)的に捻じ曲げて批判するのではなく、憲法の平和主義の基本原理や9条が何を述べているのか正確に理解したうえで改正の議論を進めて欲しいからです。

      私は「タカ」でも「ハト」でもない「鳥」が「外交には軍事力による裏付けが必要」などという根拠のない主張を信じてしまうのが問題だと考えてこの記事を公開したのであって、私が「タカ派を納得させ」ようとしていないにもかかわらず、あたかもそれをしているかのように歪めて批判するこの部分も「ストローマン論法(わら人形論法)」的ではないでしょうか。

      なお、この段落最後の

      「中国史において中原王朝は何度も遊牧民勢力の侵攻を許した、よって中原の軍は無力である」とでも主張するのと同じ詭弁に感じます

      の部分ですが、この部分も意味不明です。「外交には軍事力による裏付けが必要」という主張の矛盾を指摘したこの記事のどこをどう読めば「中国史において中原王朝は何度も遊牧民勢力の侵攻を許した、よって中原の軍は無力である」と「主張するのと同じ」になるのでしょうか。さっぱりわかりません。

      中国史には詳しくありませんが、そもそもモンゴルの侵攻を受けた宋も、満州族(?)の侵攻を受けた明も国力に応じた軍事力を持っていたはずなので「無力」ではなかったと思いますが…。

      この部分も相手の主張を歪めて引用し、その歪められた主張に反論する論法で「ストローマン論法(わら人形論法)」でしょう。

      【3】コメントの第三段落目について

      コメントの三段落目は

      なにより、護憲派の論全般において「では、なぜ日本以外の大国は核兵器まで含めて“帝国主義思想ではなければ無駄なはずの”軍備を怠ることがないのですか、理想の水準まで足りないからといって、諦めて努力を放棄するなどという選択がありえますか」という点への満足な答えがあった試しがないのですが

      「軍産複合体の利益のための陰謀」とでもおっしゃいますか?

      というものですのでこの部分について検討します。

      まず、「“帝国主義思想ではなければ無駄なはずの”軍備」の部分は何を言いたいのかわからないので置いておきますけれども、戦後の日本は憲法9条があるので建前として「軍」は保持していませんが、自衛隊は他国と同等かそれ以上の装備を備えていますので常識的に考えれば「軍備」以外の何ものでもありません。「日本以外の…」とあたかも日本に「軍備」が無いかのように論じるのは事実認識として間違っていると思います。

      また、「理想の水準まで足りないからといって、諦めて努力を放棄するなどという選択」の部分ですが、この記事の中だけでなく『憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由|憲法道程』や『日本が軍隊で国民を守れない(戦争に勝てない)7つの理由』の記事でも繰り返し述べているように、日本の国力では軍事力で国民の安全保障を確保することは困難であるだけでなく、それが不可能であることは先の戦争で地理的・財政的・歴史的に証明されているのだから、日本は『対症療法的』な視点から軍事力で安全保障を確保するのではなく、『原因療法的』な視点から戦争に発展するような危険を未然に防ぐことでしか国民の安全保障を確保することはできない、だから現行憲法の平和主義の基本原理と9条を実践するしかないというのが私の意見です。

      私が述べている選択は「理想の水準まで足りないから…諦めて(軍事力を整える)努力を放棄する…選択」ではなくて、「地理的・財政的・歴史的に考えれば「対症療法的」に日本が軍事力で国民の安全保障を確保するのは無理だから積極的な外交努力で「原因療法的」に戦争につながるような危険を未然に防ぐ選択」です。

      理想の水準まで足りないから」という消極的な意図で軍備を放棄するのではなくて、「原因療法的」な視点で戦争につながるような危険を未然に防ぐためには今まで軍備に充てていた人的資源と経済的資源を積極的な外交努力に振り分けなければならないので軍事力を放棄する必要があるのです。

      この点を全く理解できておらず、ここでも私の主張が歪められています。

      なお、最後の

      「軍産複合体の利益のための陰謀」とでもおっしゃいますか?

      の部分も私は述べていないので、「ストローマン論法(わら人形論法)」です。

      ちなみに、おそらくこの最後の段落は全体的に、9条が正しいなら日本以外の世界中のほとんどの国が軍事力を持っているのはなぜなんだ、とか、9条が正しいなら他国はなぜ9条を採用しないんだ、という趣旨のことを言いたいのだと思いますが、それは世界の国々が日本国憲法の平和主義の基本原理と9条を正確に理解していない(知らない)からだと思います。

      「日本が平和だったのは憲法9条があったから」なのか?|憲法道程』の記事にも書きましたが、戦後の日本は、憲法が本来的に予定していない自衛隊という事実上の軍隊と、安保条約という事実上の軍事同盟によって国の安全保障を確保しようとしてきました。つまり、戦後の日本は、憲法の平和主義の基本原理があるのにその基本原理を守らずに、9条があるのにそれを守らずに戦後80年の時間を浪費してきたわけです。

      これでは世界に平和主義の基本原理の理念や9条が広がるわけがありません。憲法の平和主義の基本原理と9条を憲法に持つ国の国民が、その具現化に半信半疑で憲法が本来的に予定していない軍事力に頼って安全保障を確保しようとしてきたのですから、それを憲法に持たない他国の人々が真似しようなどと思うわけがありません。日本国民が自分たちの憲法に書かれている平和主義の基本原理や9条を理解できていないのに、他国の国民が理解できるわけがないでしょう。

      だから世界の国々は先の戦争であれだけの犠牲を払った後でも、いまだに戦争を根絶することができずにいるのではないでしょうか。

      【4】最後に

      以上で述べてきたように、このコメントは「ストローマン論法(わら人形論法)」で溢れています。「ヤフーニュースのコメント欄かよ」とツッコミたくなるレベルです。

      「ストローマン論法(わら人形論法)」は詭弁ですが、詭弁で相手を批判しても憲法9条の議論は一ミリも進みません。

      詭弁からは何も生まれないと思うのですが、いかがでしょうか。