「絶対に攻められない国にするなど無理」との憲法9条批判の検証

日本国憲法の基本原理である平和主義と第9条は自衛のための戦争を含むすべての戦争を放棄し、軍事力も否定していますが、これはただ単に非武装中立・無抵抗主義を貫くだけで国民の安全保障が実現できると考えているわけではありません。

憲法の平和主義と第9条は、国際的に中立的な立場から紛争解決のための助言や提言、貧困解消のための援助など、積極的な外交努力を続けることで諸外国と信頼関係を築き、世界平和の実現に貢献していくことを要請していて、その積極的な外交努力の継続の中にこそ国民の安全保障を確立できるという確信に基礎を置いているからです。

こうした理念からは、国民の安全保障を「原因療法的」な視点で捉えていることが分かります。

諸外国もそうですが、かつての日本は他国から「攻められた(侵略された)」ときに軍事力で反撃して国を守ろうとしましたから、それは安全保障のための人的資源と経済的資源を「他国が攻めてきた後」に反撃するための軍事力に集中させて、自国を「攻め返せる国」にすることで国民の安全保障を実現しようするもので、その安全保障は「対処療法的」な視点で捉えられたものでした。

しかし、先の戦争で日本は300万人を超える陸軍と米英に次ぐ世界第二位の強力な海軍を持ち、満州や朝鮮半島・台湾などから莫大な人的・経済的資源を搾取出来たにもかかわらず、装備では日本にはるかに劣る中国との戦争すら終結させることができずに周辺諸国に戦禍をまき散らし敗戦を招きました。つまり先の戦争ではその「対処療法的」な視点に基づく安全保障が全く機能しなかったわけです。

そのため戦後に制定された現行憲法では、そうした「対処療法的」な視点ではなく「原因療法的」な視点から、安全保障のための人的資源と経済的資源を「他国が攻めてくる前」の外交努力に集中させ、その積極的な外交努力に尽力することで日本に生じる危険を未然に防ぐことで、そもそも日本を他国から「攻められない国」に、他国が「攻めてこようと思わないような国」にして、国民の安全保障を実現することにしたわけです(※参考→『憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由|憲法道程』『憲法9条は国防や安全保障を考えていない…が間違っている理由|憲法道程』)。

安全保障の内容諸外国・戦前の日本日本国憲法の平和主義と9条
施策の視点・対処療法的・原因療法的
施策の目的・戦争に勝つ・戦争を未然に防ぐ
施策の方針・攻め返せる国にする・攻められない国にする
施策の手段・陸海軍その他の戦力・紛争解決提言/平和実現努力
施策の内容・反撃/先制攻撃/侵略・国際協調/信頼構築/対立解消
人的/経済的資源・軍事力に集中させる・外交努力に集中させる
施策の時間的重心・他国が攻めてきた後・他国が攻めてくる前
破綻の認定・戦争に(事実上)負けた時・戦争が(事実上)始まった時
破綻した時の対処法・ない(相手国の方針による)・ない(相手国の方針による)
破綻した後の選択・降伏または個人の武装蜂起・降伏または個人の武装蜂起
※「諸外国および戦前の日本」と「日本国憲法の平和主義と9条」における国家の安全保障施策の対比|大浦崑「憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由|憲法道程

憲法9条を「絶対に攻められない国にするなどできるわけがない」と批判する意見はどこがおかしいか

ところで、憲法の基本原理である平和主義と第9条がこうした理念に基づくものであることから、私が運営しているウェブサイト(憲法道程)やYouTubeのチャンネルで公開している動画でも憲法の平和主義や9条に関して「攻められない国にする」ものだとの趣旨で説明を繰り返しているわけですが、そうした記事や動画には「絶対に攻められない国にするなどできるわけないだろ!」などという批判が度々寄せられてきます。

たとえば次のようなコメントです。

※大浦崑がYouTubeで公開している『憲法9条は「どんな紛争でも話し合いで解決できる」と言ってるわけではないんですよ』の動画に付けられたコメント

ちなみにこのコメントは、私が公開している憲法9条に関する動画に別の人から付けられた『結局、努力さえすれば、こちら側の意図(攻められないような国にする)は相手国に受け入れられて当然!という自惚れた危うさしか感じ得ない。』とのコメントについて、”私はそんなこと一言も言っていませんよ”という趣旨で『「努力さえすれば、こちら側の意図(攻められないような国にする)は相手国に受け入れられて当然!」こそあなたがこじつけた言葉なのでは?』と返答したコメントに対して付けられたものです。

しかし、そもそも私はこのコメントが付けられた動画で「絶対に…」などと一言も述べていませんし、他の記事や動画でも「絶対に攻められない国にする」などという趣旨の説明したことはありませんので、こうした批判は端的に言って的外れです。

もっとも、そうは言っても憲法の平和主義と9条に関してこれと似たような批判が後を絶ちませんので、こうした批判のどこがどのように間違っているのかを指摘しておくことも必要だと思います。

幸い、このコメントは憲法9条に関するステレオタイプな批判が凝縮されていますので、その妥当性を検証するには良い材料になるような気がします。

そこでここでは、このコメントをサンプルとして、憲法9条に関するステレオタイプな批判のどこが具体的に頓珍漢なのか、検証していくことにいたしましょう。

(1)憲法9条が予定しているのは「”絶対に”攻められない国」ではない

まず最初に、上に例示したコメントの前半部分の

つまりこちらがいくら努力しようが、積極的平和外交に努めようが、国際貢献しようが、他国に受け入れられない場合もあると。
絶対に攻められない国などつくり様がないと、まあ、当然ですな。~~-y(・ε・ )
(原文ママ)

の部分の具体的にどこがおかしいのか、検討しましょう。

このコメント主の文章は要領を得なくて理解しにくいのですが、おそらく憲法の平和主義と9条について「攻められない国にして国民の安全保障を確保しようとするもの」との趣旨で私が説明している部分を批判する趣旨で

日本がいくら外交努力しても相手国に受け入れてもらえなかったら攻められる可能性はある。そうであれば「絶対に攻められない」とは言えないのだから、攻められた場合に備えて軍事力を持って戦争できるようにすべきだ。

ということを言っているのだろうと思われます。

しかし、先ほど述べたように、私は自分が公開している記事や動画で一言も「絶対に攻められない国」などと述べたことはありません。

このページの冒頭でも説明したように、憲法の平和主義と9条は国の安全保障を「原因療法的」な視点からとらえる立場ですから、「対処療法的」な視点に立って「攻められても攻め返せる国」にするために軍事力で国を守ろうとするのではなく、積極的な外交努力で自国に対する危険を未然に防ぐことでそもそも「攻められない国」にして、国民の安全保障を確保しようとします。

もちろんこれは、自国を「絶対に攻められない国」にしようというものではありません。

なぜなら、安全保障は相対的な概念であって絶対的なものではないからです。

そもそもこの世界は他者と相対して自己が存在する世界ですから、この世界は絶対的な世界ではなく相対的な世界です。神(GOD)の世界は絶対者である神の存在が前提となるので絶対的な世界と言えますが、人が生きているこの世界は相対的な世界なので、この世界で「絶対に…」と未来を予測できる絶対者は存在しません。自分が主体的に行動するものについて「絶対に○○はしない」と意思を示すことはできますが、相手の行動によって成り立つ物事について「絶対に○○できる」などと予知することはできないわけです。

そうであれば、国家の安全保障も自国の希望だけで完結するものではなく、他国と相対的な関係で成り立つものですから、国家の安全保障を論じる際に「絶対に○○すれば安全保障を確保できる」などと言えるわけがありません。

そのため、私がウェブサイト(憲法道程)やYouTubeのチャンネルで公開している記事や動画でも、憲法の平和主義や9条に関して「絶対に攻められない国にする」などと言っていないのです。

憲法の平和主義と9条は、「攻められない国」にすることで国民の安全保障を確保しようとしますが、それはもちろん「絶対に」保障されるものではありません。日本がどれだけ自国に生じる危険を未然に防ごうと外交努力に尽力したとしても、対立が生じて信頼関係が破綻すれば「攻めてくる(侵略してくる)」ことはあり得るでしょう。当たり前です。

ところで、ではなぜ憲法の平和主義と9条が「絶対に攻められない国」ではなく「攻められない国」にすることで国民の安全保障を確保しようとしているかというと、それは軍事力を用いた安全保障が全く機能しないことが先の戦争の敗戦で歴史的に証明されてしまったからです。

たとえば、昭和14年(1939年)にソ連との間で起こしたノモンハン事件では、死傷者数こそソ連を下回りましたが、装備で甚だしく劣る日本軍は火炎瓶で対抗するのを強いられた挙句、重戦車を中心にした火力に勝るソ連軍にコテンパンに蹂躙されています。

また、日中戦争時の日本は300万人を超える陸軍と、米英に次ぐ世界第二位の強力な海軍を保持していただけでなく、中国には満州や青島・上海などに権益を持ち、自国の領土に組み入れた朝鮮半島や台湾や南樺太からも莫大な人的・経済的資源資産を搾取できた状況にありながら、軍事力では日本にはるかに劣る中国とのその戦争すら終結させることができませんでした。

そして、その装備の貧弱な中国との戦争を終結させるためには中国を支援する米英仏蘭からの補給路を断つ必要が生じてフランス領インドシナやマレー半島、ビルマにも軍隊を進めなければならなくなり、そのために始めたのが真珠湾から始まる太平洋戦争ですが、その戦争でアメリカに全く歯が立たなかったのは言うまでもありません。

つまりかつての日本は「対処療法的」な視点から「攻められたら攻め返す国」にすることで国民の安全保障を確保しようと考えて安全保障のための人的資源と経済的資源の全てを軍事力に集中させて戦争を始めたわけですが、その「対処療法的」な視点に立った安全保障施策が全く機能しないことが歴史的に証明されてしまったのです(※詳細は→日本が軍隊で国を守れない(戦争に勝てない)7つの理由)。

そのため戦後の日本は、「原因療法的」な視点に立って、積極的な外交努力で日本に生じる危険を未然に防ぎ、日本を「攻められない国」にすることで国民の安全保障を確保しようとしたのです。そして、それを具現化させるためには諸外国と信頼関係を築かなければなりませんが、軍事力を保持して戦争を準備する国が信頼関係を築くことなどできないので、第9条で「戦争するな!(戦争放棄)」「軍隊を持つな!(戦力の不保持)」「軍事力を行使するな!(交戦権の否認)」と国家権力に歯止めを掛けることにしたのです。これが憲法の平和主義と9条の理念です。

もちろん、先ほど述べたように安全保障は絶対的な概念ではなく相対的なものですから、どれだけ日本が外交努力に尽力して世界平和の実現に貢献しようと、日本と対立する他国が現れて「攻めてくる(侵略してくる)」可能性もゼロではありません。

しかし、軍事力で国を守る方法が、諸外国はともかく、少なくともこの日本においては全く機能しないことが先の戦争の敗戦で歴史的に証明されているわけですから、それとは別の方法を選択する必要があります。国民の命の問題だからです。

この点、軍事力を否定して、積極的な外交努力で世界平和の実現に貢献していく中で自国民の安全保障を確立していくという理念によって国民の安全保障を確保しようとした前例は未だなく日本国憲法が初めてなのですから、その方法が機能しないとは言えませんし、機能する可能性もあると言えます。

そうであれば、かつて失敗した方法よりも、今まで誰も挑戦してこなかった憲法の平和主義と9条の理念で軍事力を用いずに外交努力に尽くす道を選択するのは当然でしょう。少なくとも私はそう思いますし、憲法制定当時の日本国民もそう考えたからこそ平和主義と9条を規定した日本国憲法に承認を与えたのです(※詳細は→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要|憲法道程、または「押し付け憲法論」を明らかに嘘だと批判し反論できる15の理由|憲法道程)。

以上で説明したように、日本国憲法の平和主義の基本原理と第9条は、軍事力を否定して積極的な外交努力で自国に生じる危険を未然に防ぎ、日本を「攻められない国」にすることで国民の安全保障を確保しようと考えますが、これはなにも「絶対に」攻められない国にすることができるなどということを言っているのではありません。

軍事力で国を守る「対処療法的」な視点に立つ安全保障が機能しないことが先の戦争の敗戦で歴史的に証明されたからこそ、「原因療法的」な視点に立って安全保障を考える道を選択した結果が、外交努力に尽力して「攻められない国」にすることで国民の安全保障を確保しようとする憲法の平和主義と第9条の理念なのです。

これを理解できていないから、先ほど挙げたような

つまりこちらがいくら努力しようが、積極的平和外交に努めようが、国際貢献しようが、他国に受け入れられない場合もあると。
絶対に攻められない国などつくり様がないと、まあ、当然ですな。~~-y(・ε・ )
(原文ママ)

などとトンチンカンなコメントをしてしまう人が出てきてしまうのです。

なお、具体的にどのようにして攻められない国にしていくかという点は『「攻められない国にする方法などあるか」との憲法9条批判の検証』のページで論じていますので、そちらも合わせてご覧ください。

(2)「攻められない国にする」立場に「攻めてきたら」は成り立たない

次に、先ほど例示したコメント中段前半の

しかし、いざ他国が攻めてきた場合、武装していた場合と丸腰の場合とだったらどちらの方が他国の侵攻を阻止できる可能性が高いのかは幼稚園児でも分かる。(原文ママ)

の部分を検証します。

この点、この部分についても憲法の平和主義と第9条を全く理解できていません。なぜなら、先ほどから繰り返しているように、憲法の平和主義と第9条はそもそも「攻められない国」にすることで国民の安全保障を確保しようとするものだからです。

そもそも「攻められない国」にすることで戦争を未然に防ごうとする立場では、他国が「攻めてくる前」の平時の段階に安全保障のための人的資源と経済的資源を集中させて外交努力に尽力することで「攻められない国」にしようとしますから、仮に他国が「攻めてきた」としたら、それは国の安全保障施策が破綻したということに他なりません。

つまり、憲法の平和主義と第9条に対して「いざ他国が攻めてきた場合(どうするんだ)」とか「丸腰だったら侵攻を阻止できないじゃないか」と疑義を問うのは、『国の安全保障施策が破綻したときの対処法』を問うことになるわけです。

しかし、『国の安全保障施策が破綻したときの対処法』は存在しません。なぜなら、安全保障施策が『破綻』したのであれば、国家が取りうる手段は残されていないからです。

存在しない答えを答えることはできませんから、憲法の平和主義と第9条に対して「攻めてきたらどうする」とか「丸腰だったら阻止できないじゃないか」と疑義を呈すること自体、そもそも論理的に成立していないのです。

これは「攻められない国」にする憲法の平和主義や第9条の場合だけではありません。「対処療法的」な視点に立って、軍事力で国を守る立場であっても同じです。

国の安全保障について「対処療法的」な視点から軍事力で国を守る立場では、他国が「攻めてきた後」に反撃するための軍事力に安全保障のための人的資源と経済的資源を集中させることで「攻められても撃退できる国」にしようとしますから、その立場で『国の安全保障施策が破綻したとき』とは、「攻めてきた相手と戦争して負けた時」になります。

そうなると、その立場に対して『国の安全保障施策が破綻したときの対処法』を問うということは「戦争に負けた時の対処法」を問うということになりますが、「戦争に負けた時の対処法」など存在しません。戦争に負けた場合は、降伏するか、攻められない国に蹂躙されるか、国を併合されるぐらいしかないからです。

つまり、『国の安全保障施策が破綻したときの対処法』は、どの立場に立って安全保障を考える場合でも答えることができない問いになるので、その問い自体が論理的に成立していないのです。

この点を詳しく説明すると長くなってしまうので、これ以上の説明はこの点を詳しく説明した『憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由|憲法道程』のページを読んでいただきたいのですが、論理的に成立していない問いで憲法の平和主義や第9条を批判しても何の議論も深まりません。

憲法の平和主義や第9条に対して「いざ他国が攻めてきたら侵攻を阻止できないじゃないか!」とか「丸腰だったら侵攻を阻止できないじゃないか!」と批判している人は、その批判が批判として成立していないことにまず気づく必要があります。

(3)軍事力で守れないのが歴史的に証明されたのは日本であってアメリカではない

つづいて、先ほど例示したコメントの

大体な「日本は過去アジアに自衛戦争の名のもとに侵略戦争を仕掛けた」とかほざいてるが、その日本をいてこましたのは紛れもなくアメリカを始めとした連合国側の武力なんだぞ。(原文ママ)

の部分を検証します。

この部分も要領を得ない文章で何が言いたいのかその真意がはっきりとしませんが、おそらくこの部分は、過去の日本の侵略からアジアを守ったのはアメリカを中心とした軍事力なのだから今の日本も同じように軍事力で他国の侵略から国を守ることができるはずだ(だから軍事力を否定した憲法の平和主義と第9条の理念は正しくない)、ということを言いたいのだと思います。

しかしこれも、憲法の平和主義と第9条(あるいは私が記事や動画で説明している内容)を全く理解できていません。

なぜなら、日本国憲法が軍事力で国を守る手段を放棄して外交努力だけで国民の安全保障を確保しようとしたのは、日本が軍事力で国を守ることができないことが歴史的に証明されたからであって、アメリカや連合国でそれが証明されたことが理由ではないからです。

先ほども説明したように、先の戦争で日本が軍事力で国を守ることができなかったのは歴史的事実です。繰り返しますが、この日本という国においては、軍事力で国を守る安全保障が機能しないことが先の戦争の敗戦で歴史的に証明されたわけです(※詳細は→日本が軍隊で国を守れない(戦争に勝てない)7つの理由)。

もちろん、このコメント主が言うように、日本からの侵略を撃退したのもアメリカを中心とした連合国の軍事力ですから、軍事力で国を守ることが不可能だということまでは言えないでしょう。軍事力で国を守ることができる国もあると思います。日本がもしアメリカやロシアや中国のような超大国であるのなら軍事力で国を守れる可能性もあるかもしれません。

しかし、日本は中国でもアメリカでもありません。『日本が軍隊で国を守れない(戦争に勝てない)7つの理由』のページでも論じましたが、先の戦争で日本は国家予算の90%近くに達する莫大な軍事費を支出しても装備では日本にはるかに劣る中国との戦争すら終結させることができなかったのですから、それが日本の国力の限界でしょう。

そんな戦争も終結できなかった日本が、国力の充実した今のロシアや中国やアメリカに勝てる可能性があるのですか?という話なのです。また、今は核兵器がありますが、仮にこの狭い日本が核戦争に巻き込まれても勝てる可能性があるのですか?という話なのです。

その点を理解していないから「日本の侵略を撃退したのもアメリカの軍事力だ」などとわけのわからない批判をしてしまうのです。

それから、一つ述べておきたいのは、確かにアメリカをはじめとした連合国は日本の侵略を撃退しましたが、それで平和を実現できたのかという点です。

第二次大戦の連合国は日本やドイツの侵略から世界を守りましたが、その後の連合国は独立を求める植民地で戦争し、朝鮮半島やベトナムで戦争し、今なお中東に戦争をまき散らしています。この事実は、軍事力による安全保障施策が世界平和を実現させる手段として機能していないことを示しているのではないでしょうか。

そもそも我々人類は何万年も前から戦争を繰り返してきましたが、いまだ一度もその軍事力で平和を実現できたことがありません。たしかに軍事力で侵略から守られた事例はあるかもしれませんが、そのあとも戦争の繰り返しです。

「抑止力をなくして平和を得た国はない」などと言う人がいますが、その「抑止力」の名の下に何万年も戦争を繰り返してきたにもかかわらずいまだ平和を実現できていないのが人類なのですから、過去の歴史の中で「抑止力をなくして平和を得た国がない」のではなくて、人類史上「抑止力を行使して平和を実現させた経験がない」と考えるべきなのです。

自衛戦争と侵略戦争を客観的に区別することが不可能であるにもかかわらず、「自衛」の名の下に愚かな戦争を正当化してきたのが人類なのですから、自衛戦争を許容する限り何万年経っても戦争を根絶することができないのです。

だからこそ日本国憲法の平和主義と9条は、日本が世界で最初に戦争と軍隊を放棄することで世界を先導し、安全保障のための人的資源と経済的資源を軍事力ではなく積極的な外交努力に集中させることで世界から紛争の種を取り除き、日本を「そもそも攻められない国」にすることで国民の安全保障を確保しようとしているのです。

なお、蛇足になりますが、先ほど挙げたコメントに勘違いしている部分があるので念のため指摘しておきます。コメントには

大体な「日本は過去アジアに自衛戦争の名のもとに侵略戦争を仕掛けた」とかほざいてるが(原文ママ)

との部分がありますが、私が公開している記事や動画で「日本は過去アジアに自衛戦争の名のもとに侵略戦争を仕掛けた」と説明した部分はないと思います。いくつかの記事や動画の中に先の戦争で日本が中国を侵略したとか、東アジアや太平洋諸国に侵略したとか、東アジアに戦争の惨禍を広げたなどの記述や発言はあると思いますが、「アジアに…戦争を仕掛けた」との説明をしている箇所はないはずです。

そもそも、日本がアジアで戦争した相手国はあくまでも米英蘭仏豪などの連合国であって「アジア(諸国)」ではないので、「アジアに…戦争を仕掛けた」などと記事や動画で説明をする人はいないでしょう。

先の戦争で戦った中国やインドも「アジア」なので「アジアに侵略戦争を仕掛けた」という文章自体を間違いとは言えませんが、私の記事や動画で中国との戦争を「アジアとの戦争」との意味合いで論じた部分はないと思いますので、コメントのこの部分は明らかに捏造と言えます。

私がそうした勘違いをしていると思われても困るので、その点は念のため指摘しておきます。

(4)近代戦は総力戦なので国力の劣る国が「戦えば勝てる場合」は存在しない

次に、先ほど挙げたコメントの後半の

戦えば勝てる場合だってあるんだよ。

の部分を検証しますが、私の感覚としては、これは間違っていると思います。

なぜなら、近代戦は総力戦であって国力の劣る国が「戦えば勝てる」戦争はないと考えるからです。

日本が軍隊で国を守れない(戦争に勝てない)7つの理由』のページでも説明しましたが、近代戦は軍隊の質や規模だけで勝敗が決まるものではなく、経済力や科学技術力など国家の総合的な国力の優劣で決せられる総力戦ですから、国力の劣る国が国力の勝る国に「勝てる場合」はまずありません。

もちろん、先ほど述べたように安全保障は相対的な概念ですから、国力の劣る国が「絶対に」国力の勝る国に勝てる可能性がないとまでは言い切れませんが、常識的に考えて近代戦で国力の劣る国が「勝てる場合」はないと言えるでしょう。これは先の戦争における日本の敗戦からも証明されていると言えます。

ところで、日本の仮想敵国はどこなのでしょうか。それがロシアなのか中国なのかアメリカなのか知りませんが、日本の国力がこれら超大国を凌駕していると認識している人はまずいないでしょう。しかも今後の日本は少子化に向かいますから、その国力は今よりさらに広がります。

また、仮に北朝鮮を仮想敵国にするとしても、北朝鮮と戦争になれば中国やロシアが確実に支援しますので、中国やロシアの国力を上回らない限り北朝鮮との間に「戦えば勝てる場合」は訪れないでしょう。

「戦えば勝てる場合だってあるんだよ」などと言う人は、もしかしたら寡兵で大軍を打ち破る中世の戦のようなものを想像しているのかもしれませんが、近代戦は総力戦なので信長の桶狭間や義経の鵯越や、正成の千早城や昌幸の上田城のような戦は個々の作戦で可能であっても、それで戦争自体を勝ちに導くことはできないのです。

また、そもそも現代は核戦争の時代であって、核ミサイルを打ちあえば勝敗に関係なく国は事実上滅んでしまうわけですから、核戦争をして「勝てる場合」を想像することも困難です。

仮に日本が核兵器を保有してロシアや中国や北朝鮮やアメリカと核ミサイルを打ちあって、この狭い領土が放射能で汚染されたとして、それで「勝てる場合」とはどういう場合なのでしょうか。

戦えば勝てる場合だってあるんだよ。

とのコメント主が考える「戦えば勝てる場合」が具体的にどのような「場合」なのか、私には想像することができません。

なお、このコメント主は私がYouTubeに公開している別の動画にも

※大浦崑がYouTubeに公開している『自衛戦争を放棄する憲法9条は世界の常識からズレているのか?』の動画に付けられた同じコメント主からのコメント

などと似たようなコメントをしていますので、この

戦えば勝てる場合だってあるんだよ。

の部分の趣旨は、おそらく

戦えば勝てる場合だってある(だから日本も軍事力で国を守ることができる場合があると言えるから軍事力で国を守るべきだ)

ということを言いたいのだと思いますが、その理屈が通ると言うのであれば、たとえばキューバ危機など話し合いで戦争を回避した事例は存在しますので、

話し合えば戦争を防げる場合だってある(だから日本も外交努力で国を守ることができる場合があると言えるから外交努力で国を守るべきだ)

という理屈も通らなければならなくなってしまいます。したがって、この一文を入れたことでこのコメント全体のロジックは破綻してしまっているような気がします(※なお、外交には軍事力による裏付けが必要だという意見については→「外交には軍事力による裏付けが必要」との憲法9条批判の検証)。

ちなみに、そもそも「戦争」という概念には講和条約の締結という「話し合いで解決する」概念が含まれていますので、戦争(軍事力で国を守ること)を肯定する限り「話し合いで戦争相手国との対立関係を解消できる」という帰結も肯定しなければならないことは念のため指摘しておきます。この点については『「話し合いや信頼関係で戦争は防げない」との憲法9条批判の検証』のページで詳しく解説しています。

(5)憲法の平和主義と9条にそもそも「勝ち目」は必要ない

最後に、コメントの最後の

でも、武力を放棄したら100%勝ち目は無くなる。

の部分を検証しますが、この部分についても憲法の平和主義と9条の趣旨を全く理解できていないように思えます。

なぜなら、これも繰り返しになりますが、憲法の平和主義と9条は「攻められない国」にすることで国民の安全保障を実現しようとするからです。

先ほどから説明しているように、憲法の平和主義と9条は「原因療法的」な視点で安全保障を捉えるもので、中立的な立場から紛争解決のための助言や提言など外交努力を積極的に行うことで世界平和の実現に貢献し、その努力の中で得られる国際協調と信頼で自国の国民の安全保障を確保しようとする理念を基礎にします。

そしてこの立場では、軍事力を放棄して外交努力で自国に生じる危険を未然に防ぎ「そもそも攻められない国」にすることで国民の安全保障を確保しようとしますから、仮に「攻められた」としたら、それは安全保障施策が破綻したということになります。

つまり憲法の平和主義と9条の立場は「戦争が起きる前」の段階に国の安全保障のための人的資源と経済的資源のすべてを集中させることで戦争になるような危険を未然に防ぐことを目的としますので、その施策が破綻した後に生じる戦争に「勝つこと(勝ち目)」を目的とはしていないのです。

憲法の平和主義と9条は、そもそも戦争が「起きないようにする」ことで国民を守ろうとしますから、その立場に対して戦争が「起きた場合」を前提とした「勝ち目はなくなる」という批判は、そもそも論理的に成り立たちません。

仮にどうしても

でも、武力を放棄したら100%勝ち目は無くなる。

との理屈で憲法の平和主義や9条を批判したいと言うのであれば、まず軍事力で国を守る立場から「安全保障施策が破綻したとき」にあたる「戦争に負けたとき」においてもなお「勝ち目がある」ということを論理的に説明しなければなりません。

その説明ができるのでしょうか。

この点は先ほどの(2)のところで行った説明と重複しますし、ロジックがややこしいのでここでは繰り返しませんが(※詳しくは『憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由|憲法道程』のページを参照してください)そこを理解できないから、いつまで経ってもこうした生産性のない的外れな批判を繰り返してしまうのです。

憲法を批判する人は憲法を読めていないのではないか

以上で説明してきたように、憲法の平和主義と9条について説明した私の記事や動画に対して「絶対に攻められない国にするなどできるわけがない」といった批判や、それに関連してこの記事でサンプルとして挙げたコメントにあるようなステレオタイプな批判を多く聞きますが、そうした批判の多くは憲法の平和主義と憲法9条の無理解から生じているもののように思えます。

もちろん、憲法の専門家が書いた基本書を熟読し憲法の平和主義と第9条を理解したうえで批判してもらえるのなら私も勉強になるので歓迎ですが、このページ紹介したような意見は批判として成り立たないでしょう。

憲法の平和主義と第9条について説明した私の記事や動画の内容を捻じ曲げて理解して、その捻じ曲げられた内容を前提に批判したとしても、それはいわゆる「わら人形論法」であってそこに価値はなく、そこで行われる議論はファンタジーにしかなりません。

ファンタジーをいくら繰り返しても憲法9条の議論は一ミリも進まないのですから、憲法の専門書を読むなり憲法学者の話を聞くなりして憲法を真摯に学び、国民の議論を深めていく必要があるのではないかと思うのです。

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