日本軍の電報・申送り(申継書)は南京事件をどう記録したか

いわゆる南京事件が起こされた日本軍の南京攻略戦では数々の暴虐事件が報告されていますが、それらの暴虐行為に関しては、兵士の日記や手記や証言あるいは、軍の公式記録となる戦闘詳報や戦闘旬報、だけでなく、軍が送信した電報や申送りなど軍(参謀本部・大本営・中支那方面軍司令部等)の通信記録にも、その事実を伺わせる記述が多数見られます。

こうした軍の公式記録とも言える通信文に記述された内容は、南京攻略戦の過程で日本軍によって引き起こされた暴虐行為の詳細を理解する上でも重要ですので、そのいくつかを抜粋し、紹介しておくことにします。

日本軍の公的な通信記録(電報/申送り)は、南京事件の「放火」「略奪/掠奪」「強姦」をどう記録したか

(1)日本軍の「電報」は南京事件の暴虐行為をどう記録したか

まず、日本軍の出した「電報」から確認しますが、昭和12年12月28日に東京の陸軍省から中支那方面軍の松井石根司令官と方面軍特務部長に宛てて出された「日本兵の南京米国大使館侵入に関する陸軍次官電報」には、南京の日本総領事から米国大使館において次のような日本兵による掠奪(略奪)の報告があったとして軍紀粛正を促す記述が見られます。

岡本総領事発外務大臣宛電報ニ依レハ南京一米国人宣教師ハ領事館宛左記申越セル趣ナリ

一、二十三日夜武装日本兵少クモ四回南京米国大使館構内ニ来リ自動車三、自転車四、石油ランプ二、懐中電灯数個ヲ掠奪セル外士官ノ引率セル一隊ハ使用人ヲ身体検査シ現金約二百五十弗、時計、金指輪、見廻品ヲ窃取シ又或兵ハ鍵ノ掛レル「パツクストン」ノ事務室ヲコヂ開ケントシ銃剣ニテ扉ヲ突刺シ又他二名ハ支那人婦人二人ヲ強姦セントスルニ他ノ兵ノ制止二依リ未遂ニ終レリ

〔中略〕

本件事実トセハ〔中略〕外務官憲トモ連絡ノ上至急適宜ノ処置ヲ採ラレ度尚右真相至急回示アリ度〔後略〕

出典:日本兵の南京米国大使館侵入に関する陸軍次官電報 昭和12年12月28日※偕行社『決定版南京戦史資料集』南京戦史資料集Ⅰ458頁上∼下段

① 昭和12年12月23日「自動車…自転車…石油ランプ…懐中電灯数個ヲ掠奪セル」

米国大使館など外国大使館・領事館が集中していた地域は、南京内外から戦禍を逃れてきた多数の一般市民が非難してきたため安全区として保護されていましたが、その安全区にも日本軍将兵が侵入し、掠奪(略奪)や強姦などを繰り返していました。

こうした外国領事館等における日本軍将兵による掠奪(略奪)や強姦等の詳細は、上海派遣軍の参謀長として従軍した飯沼守の従軍日記に詳しく記録されていますが(※詳細は→飯沼守日記は南京事件をどう記録したか)、この電報は、そうした掠奪(略奪)の被害を受けたアメリカ領事館側から強い抗議を受けた日本総領事が、国際問題に発展するのを危惧して東京の軍中央に報告を入れたことで、東京から軍紀粛正を徹底するよう派遣軍に指示が出されたものでしょう。

電報の中では「自動車…自転車…石油ランプ…懐中電灯数個ヲ掠奪セル」とありますので、米国大使館からそうした動産をことごとく掠奪していったことがわかります。

こうして略奪(掠奪)された品物は、上海に送られるなどして換金され内地に送金されることが多かったそうですから、ここで略奪(掠奪)された動産もそうして売り飛ばされたりしたのでしょう。

なお、この件に関しては、飯沼守日記もこの23日前後に米国大使館や領事館において日本兵による掠奪(略奪)が起きたことを記録しています(※詳細は→飯沼守日記は南京事件をどう記録したか)。

② 昭和12年12月23日「身体検査シ現金約二百五十弗、時計、金指輪、見廻品ヲ窃取シ」

また、『士官ノ引率セル一隊ハ使用人ヲ身体検査シ現金約二百五十弗、時計、金指輪、見廻品ヲ窃取シ又或兵ハ鍵ノ掛レル「パツクストン」ノ事務室ヲコヂ開ケントシ銃剣ニテ扉ヲ突刺シ』

とありますので、①の自動車等の掠奪以外にも、日本兵が米国大使館に押し入って、そこで働いていた中国人の使用人から現金や貴金属を窃取(強奪)したことがわかります。

③ 昭和12年12月23日「婦人二人ヲ強姦セントスルニ」

また、この電報は『又他二名ハ支那人婦人二人ヲ強姦セントスルニ他ノ兵ノ制止二依リ未遂ニ終レリ』ともしていますから、日本兵による強姦事件があったことがわかります。

南京陥落時、米国大使館には大使館使用人(中国人)の親族300人ほどが避難するために大使館に駆け込んできたことがドイツ大使館の外交文書で明らかにされていますので(※石田勇治編/翻『資料ドイツ外交官の見た南京事件』大月書店30頁)、おそらくそこに押し入った日本兵が避難していた大使館使用人の親族の女性を強姦しようとでもしたのでしょう。

「未遂ニ終レリ」としていますから、日本兵による強姦は大使館関係者か中国人の使用人などに阻止されたのかもしれませんが、米国大使館での出来事であるため国際問題に発展するのを危惧して電報を出したものかもしれません。

この部分は、未遂で終わってはいるものの、南京において日本軍将兵による強姦があったことを軍の公式記録が裏付ける、貴重な資料と言ってよいでしょう。

(2)日本軍の「申送り(申継書)」は南京事件の暴虐行為をどう記録したか

昭和13年1月 「中山陵ハ悪戯ヲスルモノ多ク恥辱ニ付」

昭和13年1月に上海派遣軍の第16師団参謀長から出された「南京ニ於ケル申送リ要点」(申継書)には、中山陵において発生していた「悪戯」に関する次のような記述が見られます。

南京ニ於ケル申送リ要点(申継書)】

一、中山陵ハ悪戯ヲスルモノ多ク恥辱ニ付見物者ヲ制限シツゝアリ将来ニ必要ナカラン

出典:第16師団参謀長中沢三夫『南京ニ於ケル申送リ要点(申継書)』※偕行社『決定版南京戦史資料集』南京戦史資料集Ⅰ475頁下段

中山陵は南京にあった孫文の陵墓ですから、そこで日本兵による「悪戯」が多発していて、その対処のために見物者の往来を禁止しようとしていたことがわかります。

当時の南京では日本軍将兵が観光地を見学することもありましたから、そうした日本兵が中山陵の立ち入り禁止区域に侵入し掠奪(略奪)や放火等の非違行為を働くことがあったのでしょう。

この点、中山陵に関しては、南京陥落直後の頃は日本軍による保護が機能していたとする海軍軍医大佐泰山弘道の従軍日記の記録などもありますが(※詳細は→泰山弘道従軍日誌は南京事件をどう記録したか)、折小野末太郎日記(※詳細は→折小野末太郎日記は南京事件をどう記録したか)や伊佐一男日記(※詳細は→伊佐一男日記は南京事件をどう記録したか)には日本軍による掠奪(略奪)の記録が見られますので、この「申送り」にもあるように、泰山軍医大佐が訪れて以降は日本軍兵士による放火や掠奪(略奪)の非違行為が散発していたと考えるのが自然です。

この第16師団参謀長の申送り(申継書)は、中山陵において日本兵による掠奪(略奪)や放火が後を絶たなかったことを裏付ける日本軍の公的資料(公文書)と言えます。