歩兵第三十三連隊の戦闘詳報は南京事件をどう記録したか

歩兵第三十三連隊は南京攻略戦に参加した上海派遣軍の第16師団歩兵第30旅団に編成された部隊で、現地で記録した戦闘詳報が公開されています。

この戦闘詳報は、捕虜の処刑を示す明確な記述があることから南京事件における「虐殺」の事実を裏付ける公式記録として極めて重要な資料と考えられます。

では、この歩兵第33連隊の戦闘詳報は南京事件における日本軍の暴虐行為をどう記録したのか確認してみましょう。

歩兵第33連隊の戦闘詳報は南京事件の「虐殺」をどう記録したか

歩兵第33連隊の戦闘詳報には、作戦で鹵獲した戦利品や捕虜(俘虜)の総数を報告する「附表」が添付されていますが、昭和12年12月10日から昭和12年12月14日の期間にかかる戦闘詳報「第三号附表」には次のような記述が見られます。

歩兵第三十三連隊『南京附近戦闘詳報』第三号附表(昭和12年12月10日∼同年14日)】

俘虜
 将校 14
 准士官 下士官兵 3,082

〔中略〕

備考
 一、俘虜ハ処断ス
 〔中略〕十二月十三日 死体(概数)五、五〇〇〔中略〕
 備考 十二月十三日ノ分は処決セシ敗残兵ヲ含ム

出典:偕行社『決定版南京戦史資料集 南京戦史資料集Ⅰ』499頁を基に作成

この戦闘詳報の附表では、「俘虜」として捕らえた将校、准士官、下士官を含めた敗残兵の合計3,096名(14+3,082)について、「俘虜ハ処断ス」としていますから、その全員を「処刑」していることがわかります。

このことは、備考の「死体」欄に記載した「5,500」の死体について「処決セシ敗残兵ヲ含ㇺ」と記載され、その3,096名が死体になっていることから考えても明らかと言えます。

しかしながら、『南京事件における捕虜(敗残兵)の処刑が「虐殺」となる理由』のページでも論じたように、敗残兵を武装解除して俘虜(捕虜)として捕らえた以上、ハーグ陸戦法規に従って人道的な配慮をしなければならず、軍事裁判(軍法会議)を省略して処刑することはできませんから、この3,096名の捕虜の「処断」は明らかに戦時国際法に違反する「不法殺害」にあたります。

したがって、この歩兵第三十三連隊の戦闘詳報第三号附表に記述された「俘虜ハ処断ス」の部分は、南京戦において日本軍が3,096名もの捕虜を組織的に「虐殺」したことを公式記録(公的文書)が裏付ける貴重な資料と言えるでしょう。