歩兵第47連隊第2中隊の陣中日誌は南京事件をどう記録したか

歩兵第四十七連隊第二中隊は南京攻略戦に派遣された第十軍第六師団の歩兵第十一旅団に編成された部隊で、南京攻略戦の過程で記録した陣中日誌が公開されています。

陣中日誌は公式記録なので日本兵による略奪(掠奪)や強姦、放火や暴行(殺人・傷害含む)などの非違行為を具体的に記述した部分はありませんが、日本兵の非違行為を伺わせる若干の記述もみられます。

では、歩兵第47連隊第2中隊の陣中日誌は南京事件をどう記録したのか確認してみましょう。

歩兵第47連隊第2中隊の陣中日誌は南京事件をどう記録したか

昭和12年12月26日「「出入禁止」の貼紙ヲナス」

歩兵第47連隊第2中隊陣中日誌の昭和12年12月26日には、日本兵による暴虐行為が伺える記述が見られます。

〔中略〕三、佐藤少尉以下九十名中隊宿営区域内本道上ノ清掃ヲナシ、且ツ附近ノ民家ノ戸締ヲナシ「出入禁止」の貼紙ヲナス。

出典:歩兵第47連隊第2中隊陣中日誌※昭和12年12月26日の部分:偕行社『決定版南京戦史資料集 資料集Ⅱ』403頁上段

この点、まず「本道上ノ清掃ヲナシ」の部分は路上に放置された死体の処理のことで、その死体は日本兵による捕虜の殺害や、違法な殺人による死体でしょうから(南京では掠奪や強姦の証拠隠滅目的による日本兵の違法な殺人が多かった)、そうした日本兵による暴行(殺人・傷害含む)などの非違行為の事実が伺われます。

また、「民家ノ戸締ヲナシ「出入禁止」の貼紙ヲナス」の部分も、日本兵による略奪(掠奪)などを防ぐ目的なので、これも日本兵による非違行為を伺わせます。

陣中日誌のこの部分は、占領後の南京で日本兵による暴虐行為が後を絶たなかったことを裏付ける記録の一つと言えるでしょう。