歩兵第六十八連隊第三大隊の陣中日誌は南京事件をどう記録したか

歩兵第六十八連隊第三大隊は、南京攻略戦に参加した上海派遣軍第三師団先遣隊に編成された部隊で、現地で記録した陣中日誌が公開されています。

この歩兵第68連隊第3大隊の陣中日誌には、軍中央が当初から捕虜を収容することなく処刑する方針であったことを示す記録が残されていますので、南京攻略戦で起こされた日本軍による「不法殺害」、すなわち「虐殺」の原因の一端を知る上でも貴重な公的資料と言えます。

では、歩兵第68連隊第3大隊の陣中日誌は南京事件をどう記録したのか、確認してみましょう。

歩兵第68連隊第3大隊の陣中日誌は南京事件における暴虐行為をどう記録したか

(1)昭和12年12月16日「捕虜兵ハ一応調査ノ上各隊ニ於テ厳重処分スルコト」

上海派遣軍第三師団先遣隊の歩兵第68連隊第3大隊の陣中日誌には、捕虜の処刑を命じられた記録が残されています。

上海派遣軍第三師団先遣隊歩兵第68連隊第3大隊 陣中日誌 (昭和12年12月16日)】

(二)藤田部隊会報追加

1 戦闘一段落シ警備ニ移ラントスルニ方リ各部隊ハ軍紀風紀ヲ厳ナラシメ兵ヲシテ過誤ナカラシムルコトニ務ムルコト
2 警備ヲ厳ニシ特ニ敗残兵等ニ対スル警戒ヲ怠ラサルコト
3 爾後捕虜兵ハ一応調査ノ上各隊ニ於テ厳重処分スルコト
4〔以下略〕

出典:上海派遣軍第三師団先遣隊歩兵第68連隊第3大隊 陣中日誌 昭和12年12月16日※偕行社『決定版南京戦史資料集』南京戦史資料集Ⅰ542頁下段

この陣中日誌の第1号の部分には「軍規風紀を厳ならしめ兵をして過誤なからしむること」とありますから、日本兵の非違行為(放火・略奪・強姦・暴行/傷害等)による軍規風紀の頽廃が確認されていたこと、また軍がその非違行為の抑制に神経をとがらせていたことがわかります。

第2号には「敗残兵等に対する警戒」とありますから、南京陥落から3日が経過した16日の時点においても敗残兵の掃討を続けていたことがわかります。敗残兵に注意喚起をしたものでしょう。

重要なのが第3号です。3号には「捕虜兵は一応調査の上各隊に於て厳重処分すること」とありますが、捕虜を開放することを「厳重処分」とは言いませんし、たとえば戦前・戦中の憲兵隊でも「検挙した人員を取調べの後、法的手続きによらず処刑すること」を「厳重処分」と呼称していましたから(新井利男/藤原彰編『侵略の証言 中国における日本人戦犯自筆供述書』岩波書店179頁上段)、この陣中日誌の「厳重処分」が処刑を意味するのは明らかです。

したがって、捕虜の処刑が軍の命令として出されていたことがこの記述によって裏付けられると言えるでしょう。

しかし、捕虜を捕らえた場合はハーグ陸戦法規が適用されて人道的な配慮を取ることが要請されますから「厳重処分(処刑)」することはできませんし、仮にその捕虜に非違行為があったとしても、これを処罰するには軍事裁判(軍法会議)に掛けて裁判で罪状を認定する必要がありますので、その軍事裁判(軍法会議)を省略して「厳重処分(処刑)」を命じている時点で国際法規に違反する命令となってしまっています(※この点の詳細は→南京事件における捕虜(敗残兵)の処刑が「虐殺」となる理由)。

したがって、この第3号の「捕虜兵は一応調査の上各隊に於て厳重処分すること」の部分は、国際法規に違反する「不法殺害」を命じたことが陣中日誌という公的資料によって証明される重要な記録となるでしょう。

なお、第2号に「敗残兵等に対する警戒」の記述があることを前提とすれば捕虜の散発的な抵抗があったことが伺えますので、抵抗する敗残兵の殺害は「戦闘」によるものだから国際法規上でも合法だとの意見もあるかもしれません。

しかし、先ほども説明したように仮に敗残兵の抵抗があったとしても、それを処刑するためには捕縛したうえで軍事裁判(軍法会議)に掛けて罪状を認定しなければ刑を執行することはできませんので、軍事裁判(軍法会議)を省略した「厳重処分(処刑)」を命じている時点で国際法規上の違法性を免れません(※この点の詳細は→南京事件における捕虜(敗残兵)の処刑が「虐殺」となる理由)。

また、仮に散発的な抵抗をしている敗残兵があったとしても、南京攻略戦は包囲殲滅戦だったため四方は日本軍の圧倒的な兵力によって包囲されており、しかも南京はすでに陥落していて司令官の唐生智ら軍幹部も12日夕方には逃走してしまったことから軍の統制は既に失われており、中国軍兵士は逃げ場を失って組織的な抵抗ができない状況で市中に取り残されている状態なのですから、そうした統制が失われた状態で勝てる見込みがないことを知らないまま抵抗している敗残兵に対しては、人道的な配慮を取ることを要請するハーグ陸戦法規の趣旨から考えても、投降を促して武装解除し捕虜として収容しなければならず、「厳重処分(処刑)」と称して殺戮することは当時の国際法規上でも容認されません(※この点の詳細も→南京事件における捕虜(敗残兵)の処刑が「虐殺」となる理由)。

そうであれば、投降を勧告せずに「厳重処分(処刑)」を命じること自体が国際法規を無視していることになりますので、この「捕虜兵は一応調査の上各隊に於て厳重処分すること」との命令は、国際法規に違反する「不法殺害」を指示する命令であったと言うほかないのではないでしょうか。

以上から、この陣中日誌の「捕虜兵は一応調査の上各隊に於て厳重処分すること」の部分は、国際法規に違反する捕虜の「不法殺害」が連隊からの命令として行われたことを陣中日誌という公式資料が裏づけす貴重な証拠と言えます。