歩兵第二十連隊第四中隊の陣中日誌は南京事件をどう記録したか

歩兵第20連隊第4中隊は南京攻略戦に参加した上海派遣軍の第16師団歩兵第十九旅団に編成された部隊で、現地で記録した陣中日誌が公開されています。

この陣中日誌には敗残兵の処刑に関する記述が見られますので、南京攻略戦で起こされた暴虐行為の一端を明らかにする貴重な公式記録(公式文書)と言えます。

では、この歩兵第二十連隊第四中隊の陣中日誌は南京事件における日本軍の暴虐行為をどう記録したのか確認してみましょう。

歩兵第20連隊第4中隊の陣中日誌は南京事件における暴虐行為をどう記録したか

昭和12年12月14日「敗残兵三ニ八名ヲ銃殺シ埋葬ス」

上海派遣軍の第16師団歩兵第20連隊第4中隊の陣中日誌には、昭和12年12月14日の箇所に捕虜の処刑に関する記述が見られます。

一、西作命第一七○号ニヨリ午前十時ヨリ城内第二次掃蕩区域ノ掃蕩ヲ実施ス
敗残兵三ニ八名ヲ銃殺シ埋葬ス

出典:第16師団歩兵第20連隊第4中隊 陣中日誌 昭和12年12月14日※偕行社『決定版南京戦史資料集』南京戦史資料集Ⅰ505頁上段

この記述は「敗残兵328名を銃殺」としていますが、戦闘中の殺害であれば「銃殺」とは書きませんので敗残兵掃討で捕縛した中国兵を連行し銃殺したものでしょう。

しかし、敗残兵を武装解除して捕らえたなら、ハーグ陸戦法規に従って人道的な配慮を取ることが要請されるので処刑することはできません。

また、仮にその捕らえた敗残兵に何らかの非違行為があったとしても、処刑するには軍律会議(軍律法廷)に掛けて罪状を認定する必要がありますから、裁判(軍律会議)を省略して処刑している時点で国際法規に違反する「不法殺害」としか言えません(※この点の詳細は→南京事件における捕虜(敗残兵)の処刑が「虐殺」となる理由)。

したがって、この328名の敗残兵の銃殺にかかる記述は、日本軍による敗残兵(捕虜)の「虐殺」があったことを裏付ける記録と言えるでしょう。

そして、陣中日誌は部隊が公式に記録する公的記録に他なりませんから、これは日本軍による虐殺が公的資料によって裏付けられた貴重な記録とも言えます。

なお、この「敗残兵328名を銃殺」については、実際にその現場で虐殺を執行した第二十連隊第四中隊の増田六助の手記(増田六助手記は南京事件をどう記録したか)にも記録されていますので詳細はそちらでご確認ください。