畑俊六の日誌は南京事件をどう記録したか

畑俊六陸軍大将は、南京攻略戦に派遣された中支那方面軍の総司令官松井石根の後を引き継いで昭和13年(1937年)に中支那派遣軍の司令官に任命された陸軍大将で、戦時中に記録した日誌が公開されています。

畑俊六は南京攻略戦に参加したわけではありませんが、南京事件に触れた若干の記述もありますので、当時の陸軍中央が南京における日本兵による暴虐行為をどのように認識していたかを知るうえで、その日記は貴重な資料と言えます。

では、畑俊六の日誌は南京事件をどう記録したのか確認してみましょう。

畑俊六の日誌は南京事件をどう記録したか

畑俊六日誌では、昭和13年1月29日の部分で南京事件に触れた箇所があります。

支那派遣軍も作戦一段落と共に軍規風紀漸く頽廃、掠奪、強姦類の誠に忌はしき行為も少なからざる様なれば、此際召集予后備役者を内地に帰らしめ現役兵と交代せしめ、又上海方面にある松井大将も現役者を以て代らしめ、又軍司令官、師団長等の招集者も逐次現役者を以て交代せしむるの必要あり。此意見を大臣に進言致しをきたるが〔以下略〕

出典:畑俊六日誌<要約>※昭和13年1月29日の部分:偕行社『決定版南京戦史資料集 資料集Ⅱ』189頁上段

ここで畑俊六は

頽廃、掠奪、強姦類の誠に忌はしき行為も少なからざる様なれば

と述べていますので、日本軍が占領した後の南京で日本兵による略奪(掠奪)や強姦などの暴虐行為が多くあったこと、またその情報が東京の軍中央まで届いていたことがわかります。

また、畑は

予后備役者を内地に帰らしめ現役兵と交代せしめ、又上海方面にある松井大将も現役者を以て代らしめ、又軍司令官、師団長等の招集者も逐次現役者を以て交代せしむるの必要あり

と述べていますので、占領後の南京で日本兵による略奪(掠奪)や強姦などの暴虐行為が頻発した原因が

  • 南京攻略戦に予後備役の年配者を多数召集したこと(30歳を超えた所帯持ちの年配者を大量に召集したため自暴自棄になった兵士の暴虐事件が多かった)
  • 予備役だった松井石根を司令官に任命したこと(一線を退いていた松井は統率の面で司令官として適任ではなかった)
  • 師団長等の軍幹部にも予備役者を任命したこと(たとえば南京攻略戦に派遣された第十軍の司令官柳川平助も予備役からの任命)

にあったと考えていたことがわかります。

南京で日本兵の暴虐行為が止まなかった原因については松井石根が戦後に記した覚書(支那事変日誌)にも記述があって、そこでは

  • 上海戦から続いた中国軍からの激しい戦闘で敵愾心が生まれたこと(報復感情)
  • 補給の準備が不十分だったこと(兵站不備)

の2つを挙げていますので、当時の軍関係者が南京で日本兵によって繰り返された略奪(掠奪)、レイプ、放火、殺人等の暴虐行為の原因をどう考えていたのかという点は、これらの記述が参考になるかもしれません。