南京難民区国際委員会は日本兵による強姦をどう記録したか

1937年12月13日、南京を陥落させた日本軍は南京の行政区を占領し敗残兵の掃討に着手しますが、その占領下では以後数カ月間にわたって日本兵による一般市民に対するレイプ事件が多発しました。

日本兵による強姦事件は数万件とも言われますが、事件の性質上その総数は未だ明らかとなってはいません。また、日本兵が強姦した女性を殺害してしまうケースも少なくありませんでしたから、今後研究が進められたとしても、正確な数を割り出すのは事実上困難でしょう。

とはいえ、現地で具体的にどのような強姦事件が行われたのかという点は、当時の南京に駐留した日本軍兵士の証言や陣中日記などの記録もありますので、その範囲で知ることは可能です。

しかしながら、実際に強姦を犯した兵士の勇気ある告白はごく少数に過ぎませんし、軍紀違反にあたる強姦の詳細を克明に日記に残す兵士も当然多くはありません。また、仮にそうした日記が残されていたり、戦後になって強姦の事実を告白する勇気ある兵士があったとしても、そうした告白を快く思わない団体や右寄りの人たちから嫌がらせや脅迫が寄せられる懸念もありますから、日本軍兵士の側から南京における強姦の詳細が語られるケースも限定的なものに過ぎません。

また、日本兵の強姦を抑止できなかった当時の日本軍に詳細な記録があるはずがないですし、他方で中国側に残された資料に当時の被害者の証言なり記録なりがあったとしても、南京事件が「なかった」と信じたい歴史修正主義者は「粉飾や誇張がある」と受け付けないでしょうから、中国側の資料をもって当時の南京で起こされた膨大な数の日本兵による強姦事件を、日本軍の暴虐行為を否定したい人たちに啓蒙することも事実上困難です。

そこで注目したいのが、日本軍占領下の南京に残留した外国人によって集められた記録です。

当時の南京では、南京城区の中央に位置する金陵女子大学を中心としたエリアが難民区(安全区)と定められ、城の内外から戦禍を逃れた20万人以上の市民が避難していましたが、その難民区(安全区)においても日本兵による強姦事件を含む暴虐事件が多数発生しています。

そのため難民の保護を目的として外国人(ドイツ・アメリカ・イギリス・デンマーク人)が組織した南京難民区(安全区)国際委員会では、難民区で発生した日本軍の暴虐事件を記録してまとめ、日本側に報告書を提出することで綱紀粛正を要請しましたが、その際提出された「南京暴行報告」がティンバーリイ原著(訳者不詳)の『外国人の見た日本軍の暴行』(1982年 評伝社)の『附録』部分に収録されていて、読むことが可能です。

この点、日本軍の暴虐行為を否定したい歴史修正主義者の中には、「日本と敵対していた当時の欧米人の記録には粉飾や誇張があるはずだから信用できない」と考える人もいるかもしれませんが、難民区国際委員会の委員長を務めたジョン・ラーベはドイツ人でナチス党員の商社員であり、当時のドイツは防共協定を結んだ同盟国ですから、そうした批判は成立しません。

したがって、この「南京暴行報告」は、外国人という第三者の客観的立場から日本軍の暴虐行為を記録したものとなりますので、当時の記録の中でもその正確性を高いレベルで担保できるものと言えます。

ただし、この「南京暴行報告」はあくまでも難民区(安全区)という南京行政区の中でもごく限られた一部の地域でおこされた暴虐行為を記録したものであるうえ、強姦という事件の性質上、表に出なかったものも少なくないはずですし、加えて冒頭でも述べたように強姦後に殺害された被害者も少なくありませんから、この報告に記録された強姦事件は日本軍占領下の南京で日本兵によって行われた強姦事件のごく一部でしかないことについては十分に留意する必要があります。

では、その「南京暴行報告」は、当時の難民区(安全区)で発生した日本兵による暴虐事件のうち、強姦事件について具体的にどのような記録を残しているのでしょうか。

南京難民区国際委員会が日本側に提出した「南京暴行報告」は日本兵による強姦事件をどう記録したか

このように、日本軍占領下の南京で日本兵によって起こされた強姦事件については難民区国際委員会が日本側に提出した「南京暴行報告」に記録されていますので、当時の南京で具体的にどのような強姦事件があったのかという点は、その報告が掲載された”ティンバーリイ原著(訳者不詳)の『外国人の見た日本軍の暴行』(1982年 評伝社)の『附録』部分(164~190頁)”を読むことで確認できます。

この報告は、1937年12月13日から1938年2月9日までの期間に南京難民区(安全区)内で発生した日本兵による暴虐事件のうち南京難民区国際委員会が把握したものの中で事件の疑いがない確実なものだけを選別したものですが、その限定された報告でも日本兵が具体的にどのような強姦事件を起こしたのかという点はある程度理解できると思います。

「南京暴行報告」の内容をすべて詳細に紹介すると著作権法的に問題がありますので、その要約を以下に日付順に挙げていきましょう。

1937年(昭和12年)12月

12月14日

  • 日本兵が住宅に闖入し四名の娘を拉致し二時間にわたって強姦。
  • 日本兵十一名が四名の女を輪姦。

12月15日

  • 日本兵が住宅に侵入し嫁を強姦して三名の女を拉致し、二人の夫を銃殺。
  • 日本兵七名が金陵大学がら婦女七名を拉致。その場で三名を強姦。
  • 日本兵多数が金陵大学で婦女38名を輪姦。数名は日本兵6名に輪姦された。
  • 日本兵多数が三条巷の住宅で多数の婦女を凌辱。

12月16日

  • 日本軍人二名と下士官二名が男を追い出して婦女を強姦。
  • 日本兵が陸軍大学で七名の娘を拉致し繰り返し姦淫。二名を17日に残り五名を18日に解放。
  • 日本兵七名が窓を破って校舎に入り婦女を強姦。
  • 日本兵が大学附近の警察を痛撃し娘の提供を要求。
  • 日本兵が住宅に侵入し婦女を強姦。

12月17日

  • 日本兵が四名の女を強姦。
  • 日本兵が一名の娘を強姦し命にかかわる傷害を加えた。
  • 日本兵が路上から一人の娘を室内に引き入れ強姦。
  • 日本兵が一人の娘を強姦後、腹部を銃剣で突き刺す。
  • 日本兵が40歳の婦人を引きずり出して強姦。
  • 日本兵多数が娘二人を強姦。
  • 日本兵が小学校内に多数の婦人を引きずり込み強姦し翌朝解放。
  • 男子三名が殺され、女子二名が行方不明。
  • 日本兵が住宅で娘三名を輪姦し婦人一名に銃で重傷を負わせた。
  • 日本兵二名が外国人宅で避難民の娘を強姦しようとするも外国人が帰宅したため逃走。
  • 日本兵が避難中の娘三名を拉致し強姦。夜半に解放。
  • 日本兵が金陵大学に侵入し婦女十一名を拉致。

12月18日

  • その多くが日本兵に凌辱を受けた450名の婦女が国際委員会事務所に保護を求める。
  • 日本兵が民家で強姦しようとするも悲鳴を聞いた日本軍少佐が平手打ちして追い払う。
  • 日本兵が金陵大学に闖入し婦女四名を拉致し強姦。翌朝解放。
  • 日本兵が娘数名を強姦。
  • 日本兵七名が十七歳の娘を輪姦。娘は死亡。
  • 昨夜、日本兵三名が娘四名を強姦。
  • 日本兵数名が娘を輪姦。
  • 日本兵三名が娘を輪姦。娘が死亡。
  • 日本兵は毎晩トラックで若い娘を拉致し翌朝解放。

12月19日

  • 日本兵が金陵大学から婦女2名を拉致。1人は20日に解放されたが他の1人は行方不明。
  • 日本兵が住宅に侵入し2名の娘を強姦、内1名は重篤に。昨日も2名の娘が強姦された。
  • 日本兵が娘を1人拉致。
  • 日本兵が学校で婦女2名を強姦。夜また婦女5名を強姦。
  • 日本兵四名が金陵大学で婦女子を強姦。居合わせた外国人三名が日本兵を追い出し婦女子を保護。
  • 日本兵二名が懐妊九カ月の17歳の嫁を輪姦。陣痛がきて出産した嫁が神経錯乱するも嬰児は無事。

12月20日

  • 日本兵三名が金陵大学で二人の婦人を強姦。
  • 日本兵が医師宅2階から2人の女を階下に引きずり下ろし3時間強姦。
  • 日本兵三名が小学校難民収容所に侵入。職員に退去を命じ女性二人を強姦。
  • 日本兵が外国人宅で外国人牧師と多数の中国人の面前で数名の婦女を強姦。
  • 日本兵四名が住宅で婦女三名を強姦。翌日も二名を強姦したうえ阻止しようとした男に発砲。

12月21日

  • 日本兵が金陵大学に侵入しようとした際、侵入を妨害した外国人を拳銃で威嚇。
  • 昨夜から強姦されていた付近に住む婦女約百名が国際委員会事務所に避難。
  • 日本兵が一人の女を防空壕に引き入れようとするが外国人に追い出される。

12月22日

  • 日本兵二名が金陵大学で13歳の少女を強姦し母親を殴打。他の28歳婦女も強姦。

12月23日

  • 日本兵二名が金陵大学で娘を引きずり出すも憲兵に遭遇したため逃走。
  • 日本兵が一人の女を強姦。日本兵が3,4回侵入し婦女数人を拉致。
  • 日本兵七名が四名の娘を拉致。
  • 小学校にて、日本兵二名が職員を強姦、夕方数名が別の女を輪姦、夜三名が娘二人(1人は13歳)を強姦。

12月25日

  • 午前九時に4名、午後二時に3名の日本兵が避難所の学校で2人の娘(1人は12歳)を強姦
  • 日本兵2名と士官1名が15歳の少女を拉致。

12月26日

  • 日本兵三名が13歳の娘を輪姦。

12月27日

  • 日本兵五名と雇員一名が二人の娘を拉致するも門外で憲兵に逮捕された。

12月30日

  • 日本兵二名がイタリア大使館職員の住宅に侵入し中国人の16歳の娘を拉致。
  • 某住宅の婦女が金陵大学に保護されたことに憤慨した日本兵が住人を射殺。

1938年(昭和13年)1月

1月1日

  • 老婆に助けを求められた外国人が老婆宅で娘を強姦する日本兵を追い出す。
  • 日本兵がトラックでラーベ宅に乗りつけ娘を要求するも門が開かず金陵大学方面に向かう。
  • 日本兵三名が金陵大学に侵入。娘一人を追い回すが外国人女性に救出される。日本兵三名中二名は憲兵。
  • 日本兵二名が外国人牧師宅で娘1人を強姦。拒否した他の娘一名を殴打。
  • 日本兵三名が金陵大学で14歳少女を輪姦。母親が憲兵に助けを求めるも適切な処置はとられず。

1月2日

  • 日本兵一名が劉宅で妻にしつこく絡み劉に殴られて退散するも夕方に戻ってきて劉を射殺。
  • 日本兵四名が婦女を強姦したうえ財物を掠奪。ドイツ人が鉤十字腕章を見せると逃走。

1月3日

  • ① 日本兵が婦人六名を拉致。昼は洗濯させ毎晩10∼20回強姦。年若の婦人一名は毎晩40回強姦。
  • ② 日本兵二名が上記①の年若の婦人を拉致し十か所斬りつけ重い後遺症が残る傷を負わす。
  • 日本兵が14歳の少女を強姦。手術の必要な傷を負わす。

1月7日

  • 日本兵二名が少女一名を強姦。阻止しようとした中国人一名を殺害。

1月8日

  • 日本兵五∼六名が婦女を強姦したあと射撃して傷を負わす。
  • 昨夜日本兵四名が住宅に侵入し三名の二十代婦女を強姦したのち拳銃で射撃。
  • 日本軍航空部隊操縦士三名が18歳の娘を輪姦したあと拳銃で射撃。

1月9日

  • 日本兵三名が嬰児を抱いたままの女を輪姦しているところを視察中の外国人ニ名が目撃。
  • 憲兵二人が2軒の住宅から各1名ずつ2名の女を拉致。途中出会った外国人を刀で脅す。

1月13日

  • 日本兵が某家で一人を殺害、婦女を強姦。

1月14日

  • 自宅に戻った一家が「もう物騒なことはない」と日本兵に言われるも2時間内に兵四名が男を追出し輪姦。

1月15日

  • 日本兵が金陵大学の避難所から自宅に戻った男女二名のうち姦淫を拒んだ女を射殺。

1月25日

  • 13日、日本兵が露天商の妻を拉致し20日まで毎日7∼10回強姦。三つの性病(梅毒/淋病/下疳)をうつす。

1月28日

《28日、日本側から収容所に避難する難民に対して自宅へ帰るよう命令が出された

1月29日

  • 日本兵が難民区から自宅に帰ったばかりの22歳の妻を強姦。また夫を傷つける。
  • 日本兵が女の連れと帰宅中の28歳女性の懇願を無視して店内に引きずり込み強姦。
  • 日本兵が39歳の女を10回以上輪姦。

1月30日

  • 日本兵三名が自宅に戻された家族の家に押し入り一名が12歳の幼女を強姦。他二名は老女を輪姦。
  • 日本兵が強制的に自宅に戻されたばかりの62歳の老婆を強姦しようとしたが老いすぎていると殴打。
  • 日本兵四名が金陵大学から自宅に戻されたばかりの11∼2歳の少女を輪姦。
  • 日本兵四名が自宅を視察するため帰宅した婦人を引きずり込み輪姦。

1月31日

  • 日本兵二名が71歳の老婆宅に侵入。娘を出さない老婆を殴り、ズボンを剝ぎ取らせないと殴打。

1938年(昭和13年)2月

2月1日

  • 昨日、日本兵が自宅に戻ったばかりの婦人宅に侵入。二人の娘の強姦に抵抗した婦人を殺害。
  • 日本兵三名が某家で12歳の少女を強姦。同家では1月28日にも日本兵三名が女二名を強姦している。
  • 日本兵七名が住宅から老婆を引きずり出し帰宅した男性に老婆との性交を強要し笑いながら見物。

2月3日

  • 日本兵三名が帰宅の途中の女を空き室に引きずり込み強姦。

2月5日

  • 強姦しようとした女の家人に憲兵を呼ばれた日本兵が逆恨みして後刻戻り女の顔を刺傷。女は昏睡状態。
  • 日本兵一名が住宅で娘を求めたがいなかったため17∼8歳の青年を鶏姦。
  • 日本兵三名が老婆宅に侵入し二名が輪姦しペニス上の汚物を舐めるよう強要。泣きやまない孫を2度刺傷。

2月7日

  • 日本兵が避難所から自宅に戻ったばかりの12歳の娘を強姦。娘の下半身は動けないほど腫れ上がる。

「南京暴行報告」が記録した強姦の詳細を確認して

こうしてみていくと、日本兵が毎日のように女性を襲い、あるいは拉致して強姦を繰り返していたのがわかります。

難民区に指定された地域は、それ以外の地域より安全だと思われたからこそ多くの市民が避難してきているはずなのに、この状態です。安全であるはずの難民区でさえこうだったのですから、難民区以外の地域の惨状は推して知るべしと言えるでしょう。

しかも、その被害者は成人女性だけでなく、11∼2歳の幼女から60歳を超える老婆まで、ありとあらゆる年代に及んでいて、男性に対する強姦(2月5日)や、当時の日本兵が「実演」と名付けていた中国人同士の性交の強要(2月1日)まであります。

加えて、強姦した女性だけでなく、止めに入った男性や傍にいた嬰児を含む家族まで、躊躇することなくいとも簡単に刺傷し、あるいは殺害しているのですから、もはや無法地帯です。

そしてこの獣にも劣る日本兵の蛮行は、南京陥落の12月から翌年の2月過ぎまで、100日以上も延々と繰り返されていたのですから、当時の南京は地獄以外の何物でもなかったでしょう。

この点、こうした強姦や虐殺の事実を信じない人もいるかもしれませんが、こうした行為は南京戦に参加した元兵士も証言しています。たとえば、第114師団の重機関銃部隊で南京攻略戦に参加した田所耕造氏の証言が代表的なものとして知られていますのでその証言の一部を紹介しておきましょう。

年寄りからなにから、全部やっちまった。下関から木炭トラックを部落に乗りつけて、女どもを略奪して兵隊たちに分ける。女一人に兵隊十五人から二十人くらい受け持たせてね。〔中略〕いつか、女の略奪班長をやったことがあるけど、ゆくと女たちはどんどん逃げる。殺すわけにはいかないから、追いかけるのに苦労したもんだよ。〔中略〕強姦をやらない兵隊なんかいなかった。そして、たいていやったあとで殺しちまう。パッと放すとターッと駆けていく。そいつを後ろからパーンと撃つ。憲兵にわかると軍法会議だからね。殺したくないけど殺した。もっとも、南京にはほとんど憲兵はいなかったけど……。

出典:太平洋戦争研究会編『証言・南京事件と三光作戦』河出文庫 27~29頁

この証言は、難民区国際委員会が日本側に提出した報告書に記録された拉致や強姦、虐殺とその態様が多くの面で重なりますから、国際委員会の報告書に記録された強姦と虐殺の数々が架空のものではなく、実際に当時行われたファクトだったことがわかります。

なお、南京を占領した日本兵は中国の市民を人として扱わず暴虐の限りを尽くしましたが、彼らが犯罪者の集団やならず者を集めた異常な部隊だったわけではありません。

彼らの多くは徴兵されて兵士で、予備役や予後備役も少なくありませんでしたから、30代を越えた者も多く日本に帰れば妻や子もいた人たちです。

それまで「普通の」市民として生活していた善良な人たちが、こうした読むだけでも辛くなる蛮行を100日以上も繰り返したわけです。

戦争が、人間を如何に変えてしまうものであるのか。今を生きる日本人は、この南京で行われた事実に真摯に向き合う必要があります。

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